黒木町日記

実家のある福岡県の黒木町。2010年2月1日をもって、
八女市に吸収され、名前も聞く機会もめっきり減りました。
ちなみに、管理人は東京都暮らしを経て長崎県在住です。
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大衆の反逆 オルテガ・イ・ガセット著 神吉敬三訳 読了
まさかこれが、1920年代のヨーロッパの分析をもとに書かれた文章だとは信じられない。
まさに現在ニッポンやヨーロッパ(EU)の人々の
現実を直視して書かれた指摘されたとしても違和感がない。

矮小的な目線に因って立つ、大衆が国家の権力の一つとなって、行動してしまっている
日本社会を第一部で考えさせられたのちに、
European Unionという仕組みの形成によって、様々な国家とその国民が、
一つのコミュニティーを形作っていくことを示唆さいた第二部であった。
第一部が絶望であるとするならば、第二部は希望である。

私はたまたま昨夜、宮崎駿監督の「風立ちぬ」を映画館で鑑賞したのであるが、
そこに描かれる時代は、ちょうどこのころ1910年代から1945年の終戦に至る過程である。
この時期を振り返ってみると、世界中が戦乱の雰囲気を色濃くしていたために、
人間の暗さ、明るさというものが、他の時期よりも顕著に現れたのかもしれない。

だからこそ、その時に考察された人間や国家のあり方は、普遍性をもっており、
90年が経過しても未だ色あせないで、輝きを放っている。

私たちは、未来を生きる為に国家を考えるわけである。
しかし現実をしっかりと認識できなければ、
未来を見いだす事はできないとともに、過去の歴史を踏まえなければ、
同じ過ちを繰り返すだけである。
「オルテガ・イ・ガセット」との出会いを与えてくれた
映画監督の想田和弘監督に感謝である。

以下、本文P261,P262より引用。
ーーーーーー
ヨーロッパ人は、自分が一つの大きな統一的事業に邁進しているのでなければ、
生きる術を知らない。
そしてそうした事業がない場合は卑俗化し、無気力となり、
彼らは魂の抜けた存在となってしまうのである。
ところが今日われわれの目前に起こりつつあるのはまさにこの状態である。

今までわれわれが国民国家と呼んできたそれぞれの区画は、
約一世紀ばかり前にその最大限度までに増大してしまった。
もはやこの区画を乗り越える以外になす術はないのである。
それらの区画はヨーロッパ人の周囲あるいは
背後に蓄積されてゆく過去以外のなにものでもなく、
ヨーロッパ人を拘束しその重荷となっている。

かつて例を見ない生の自由を所有しているわれわれは、
それぞれの国民国家内にあって窒息しそうになっている。
それはいわば密室の空気だからである。
かつては広々とした見通しのよい広大な空間であった一国民国家が
今や州となり「奥の間」と化してしまったのである。
わたしが想像しているヨーロッパ超国民国家においては、
今日の複雑性は存続するものであり、消滅すべきものでもない。

古代国家が諸民族の差異を抹殺するか、さもなくばその動力を無効にするか、
あるいは最大限に尊重した場合でもミイラ化して保存したのに対して、
よりいっそうダイナミックな概念である国民国家的概念は、
西欧の生がつねにその特質としてきた複雑性が効果的に存続することを要求するのである。

すべての人々が、新しい生の原理を樹立することの急務を感じている。
しかしーこのような危機の時代にはつねに見られることだがーある人々は、
すでに失効してしまった原理を、
過度にしかも人為的に強化することによって現状を救おうと試みている。
今日われわれが目撃している「ナショナリズム」的爆発の意味するところはこれである。
もう一度繰り返していうが、いつの時代にもこうあったのである。
最後の炎は最も長く、最後の溜息は、最も深いものだ。
消滅寸前にあって国境ー軍事的国境と経済的国境ーは、極端に過敏になっている。

しかし、これらナショナリズムはすべて袋小路なのだ。
試みにナショナリズムを未来に向けて投影してみていただきたい。
たちまちその限界が感得されるだろう。その道はどこにも通じていない。

ナショナリズムとはつねに国民国家形成の原理に逆行する衝動である。
ナショナリズムは排他的であるのに対して国民国家主義は包含的なのだ。
しかしナショナリズムも基礎固めの時代には積極的な価値をもっており、
一つの高度な規範たりうる。
だがヨーロッパにおいては、すべては十分過ぎるほど固まっているので、
ナショナリズムは単なるマニアであり、
創意の義務と大事業への義務をまぬがれようとする口実にすぎないのである。

ナショナリズムが用いている単純きわなる手段とそれが賞揚している人間のタイプを見れば、
ナショナリズムが歴史的創造とはまったく逆のものであることが十分すぎるほど明らかとなろう。
ーーーーーー
(以上、引用終わり)
評価:
オルテガ・イ ガセット
筑摩書房
¥ 924
(1995-06)
コメント:集団的自衛権、ナショナリズム、そんな言葉が飛び交う昨今、何が人々を動かしているのか鋭く指摘した1920代の警鐘は、今の日本にとって非常に有意義な者であると思います。

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