黒木町日記

実家のある福岡県の黒木町。2010年2月1日をもって、
八女市に吸収され、名前も聞く機会もめっきり減りました。
ちなみに、管理人は東京都暮らしを経て長崎県在住です。
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農聖 石川理紀之助氏を秋田に尋ねて。

長崎県の波佐見から、東京で飛行機を乗り継いで遥々秋田県潟上市を訪れた。

地上交通で向かえば1500km、日本横断に近い。

 

書物でこの人物の功績を知り、なんと常人離れした聖人であるのかと驚かされたが、

日帰りでこの地を訪ねた甲斐があり、目の前に広がる現実はその驚嘆を超える感動があった。

 

現在も石川氏のご子息が生活されている一角に、

石川理紀之助氏の足跡を紹介する潟上市郷土文化保存伝習館が作られている。

 

蔵書を保管する蔵の大きさや、学問を修めたい人々に対して作られた建屋の数々、

百年を超えて今でも食べられる備蓄米、石川氏が何度も各地で書かれた箴言の数々、

全てにおいて私の心を揺さぶるものであった。

 

特に、石川理紀之助氏が発した言葉で、世に最も有名なこの言葉を読んだ時、

思わず涙を抑えることが出来なかった。

『寝て居て人をおこすこと勿れ』

 

世の中には、他者を指導しようと先生という立場にたって、

訓を唱える人は歴史上にも数多存在する。

しかし、成人して他者から教えを請われるようになってから殆どの生涯を、

教えられる人の立場に立って、

日常の食事がかつかつなほど厳しい家庭環境を置いた状態で、

農民の暮らしをより良くしようと、

田んぼに囲まれて努力し続けた人は、そこまで多くないだろう。

 

石川氏は、自らが婿養子に入った秋田県の潟上市(旧山田村)から、

全国各地の農民に請われて教えに訪問した先々で、

一貫して自らの行動で範を示し、

他者にやらせるだけということをやらなかった人だった。

 

婿養子に入った石川家はもともと裕福な地主であったが、

数代前から没落し、借財が多く、殆どの田んぼも質に入っている状態であった。

その状態から、周りも驚くほど真剣に働き、

僅か5年間で借金を返して質田の質を取り去ってしまった。

自らの家を立て直しただけでなく、村の青年たちと勉強会を作り、

農業、家計、村の政治などに語らいあい、研鑽を続けた。

 

時代は明治維新期、世の中が騒然としている中で、それに動じず、

住民の助け合いを呼びかけ、村の将来を考えて行動することで、

周囲からの協力も集まり、石川家を復興させる後押しになった。

 

石川家を豊かにするには山田村が豊かになるようにしなければならないという考え方が、

彼自身に自然に生まれたことがその後の一生を左右したようである。

 

石川氏は、自らが望まなかったにも関わらず何度も役人として働き、

農民のやる気を育み、その地域の良さを活かしながら、

お互いに交流し合うことを土台として、秋田県の農業行政に大きな貢献をしている。

 

しかし、養父が身体を弱くしたことを契機に、

山田村に戻り再び農業に専念することになった。

明治維新後、階級がなくなったとはいえ、農民の生活環境はさほど変わっていない。

しかし、上からの締め付けがなくなったため、働く意識は下がり、

生産物を作ることに比べて他者から買うことが増えているので、

経済環境は厳しくなる一方であった。

 

まずは溜まっていた村の借金を返済することを目的として、

山田村民の会『山田経済会』を石川氏が責任者となって設立した。

毎朝3時に起きて収穫法などを学び、養蚕などの副業を促進、

倹約による貯蓄を図るとともに、産品を村民でまとめて売り必要品をまとめて買うことで

村全体の収支を改善、堆肥はこれまでの2倍にして田の増収を目指した。

 

村民相互で取り組みを奨励するために、

5日ごとに夜会を開き進捗状況を確認しあい、

冠婚葬祭の質素さを村全体に守るように指導した。

一方で、年に一回は村民全員が一堂に会し、

仕事のまとめを行い、餅を食い酒を飲んでお互いの労をねぎらいあった。

 

3年間の取り組みで、村の借金は大きく減り、

各家々の家産は急速に改善し、

遂に僅か5年間で村の借金は全て返済出来るという見通しがついた。

石川氏はその頃、別の村に農政指導に出掛けるものの、

土地の人間のやる気のなさに、1ヶ月で山田村にもどってきた。

改めて山田村の村民の努力の成果を認め、

それを世に示すことが自らの存在価値だと思い至る。

 

そこで、生まれ育った土地で日当たりの悪い田に入り、

小屋を建てて、貧乏小作人の生活を始める。

12時間働き残りの時間を睡眠と食事・雑用にあて、

目覚めると働き、空腹になると食い、眠くなると横になるという日々を過ごした。

食べ物は粗末な米と野菜中心、

粗末な小屋は修理を繰り返し、徹底的な勤労、節約の生活を送った。

 

この田んぼは地主から借りたものであるが、3年間で返済した上に、

新田を開墾し、苗木を多数植え、雑穀を余分に収穫するに至った。

 

石川氏は、山田村経済会で村民に要求した通りの生活を送ることで、

自らでそれが間違いないということを実証することで、

借金を特別な方法で返したのではない、山田村の村民の行動の正しさを確認したのであった。

 

このような、理論と実践を両立させる石川氏の行動を冷ややかな目線で見ていた人も、

数々の実績を上げている事実から、評価を変えるようになってきた。

近隣の村々から志のある若者たちが、農村の将来や経済、

和歌などについて学び合うために、石川氏のもとを訪れるようになってきた。

 

山田経済会が出来て9年後の明治27年には東京で開かれた

第一回全国農事大会に出席し、

幹事長の前田正名から「日本一の老農」と紹介されるほどになった。

大日本農会長の委嘱により、九州各地を巡回講演した。

 

彼を賞賛するものが増える一方で、山田経済会のやり方を踏まえて、

独自で農業発展を志す人物が出てくるためにはどのようなことが必要かと、

石川氏は50歳を契機に考えるようになった。

 

そのような折、秋田県中の農業調査を数年間掛けて完了し、

勲章を授与されたのち、旧知の前田正名より明治34年に手紙が届いた。

宮崎で開田事業が完成させるために無報酬で指導に出向いてくれないかという懇願であった。

 

肉体的、経済的な負担から同志を集めることの難しさを想定しつつ、

正名氏の手紙を見せたところ、7人の賛同者が集まった。

決死の覚悟のもと、明治35年4月秋田を出て、

宮崎県の霧島山麓の事務所で1日も休みなく半年間必死に働くことを皆で誓いあった。

ただし、長年村民で協力しあった山田村のやり方がいきなり通用する訳もなく、

指導に来た人間自らがあるべき行動をすることで、

自然にその土地の農民を導いていくという方針が取られた。

指導方針は、以下の通りであった。

-----

1.指導に来たのだという考えを捨て、この部落の一員となりきって行動する。

2.部落の欠点、ここの人々の劣っていることを決して口にしない。

欠点をなおそうと思ったら、私たちの生活、行動で気づかせるようにしていく。

3.農業のことについて聞かれても、自分の知識、体験で断定的な話をしないようにすること。

-----

 

石川氏は、日本各地で死の直前まで数々の農村の経済的な立て直しに貢献した。

彼が直接手を下したのではなく、その土地の農民の心を変えて、

労働の尊さを伝え、借金を減らし貯蓄を行うことの意義を身を以て教えて歩いた。

 

 

 

以上羅列的になってしまったが、石川氏の功績を紹介したのだが、

秋田を始め、各地の農村指導のエッセンスに、

2016年の現代にも通じる点が多々存在する。

 

私は、これから都市部ではない自然に囲まれた地方にて生きていく覚悟を決めた。

だからこそ、石川理紀之助氏の功績に学ぶことが非常に多いと考えている。

 

ある土地に長らく住んでいらっしゃる人々の気持ちを、

余所者が変化させることは非常に難しい。

けれども、『至誠にして動かざるもの未だ有らざるなり』

吉田松陰の言葉だが、他にも多くの教育者が同様の言葉を発している。

 

この古くから言い伝えられる箴言を信じて、まずは自らを律していきたい。

石川理紀之助

JUGEMテーマ:モチベーション

地域 | 22:07 | comments(0) | - | - | - |
地方経済を恒常的に回すには地方の人が自らの頭で考えて動く他ない。都会の智慧者に頼るな。

地方創生が国の方針として謳われ、自治体として限界点を迎える前にどうにかしないといけない、

そう考えている人々は、日本中に沢山存在している。
この地方を元気にしたいと声を出している人に、私は全力で問いたい。
あなたの頭で考えて、自分の責任で動いていますか?と。

私は、東京都から長崎県の東彼杵郡波佐見町に移住した。
この土地には、自分の頭で考えて、自分達なりに、

どうしたら他者を惹きつけることが生まれるのかを

一生懸命に追求している人々が沢山いる。
私は、そんな熱い人々に影響され、俺もなんかやんなきゃ存在価値が埋没してしまう、

そう発破を掛けられる日々を過ごしている。

 

一方で、私の生まれた場所である、福岡県の八女という土地を垣間見ると、

もちろん自分の頭で考えて行動している人は存在するが、
東京とか福岡といった外部の知恵に頼ってしまっている所が他所者の私にはありありと見えてくる。

その一例を私は、グリーンピアという元々国が作った施設の

今の状態から直感的に垣間見ることになった。
厚生省が年金資金運用基金にて建設したのがこの施設の始まりで、

経営素人の役人が資金をふんだんに投下した結果経営不振に陥り、

民間企業に売却された二箇所以外の施設は、地方自治体に譲渡され、

現在はさらに民間企業が買収し運営している土地も存在している。

 

グリーンピア八女は、国の外郭団体による運営を外れた後に、

黒木町が運営を行っていたが市町村合併により八女市の運営主体になり、

現在実質的な運営は東京に本社がある民間企業が担っている。

2010年、八女市が上陽町、黒木町、立花町、矢部村、星野村を

吸収する形の合併によりかなりの面積の自治体となった。
確かに合併によって良くなった点もあるだろうが、現実として旧町村地域の発展が、

自治体運営としては疎かになりつつあるというのが、この土地を外から見た私の感覚である。

 

そんな八女市が指定管理者として西洋フード・コンパスグループに

運営を委託しているのがグリーンピア八女などの公的保養施設である。

(他にもべんがら村、池の山山荘なども同社が受託している)

運営委託当初は、施設の独自性を見出す努力がなされ、

実際に窓口にいらっしゃる方の気遣いも細かいものがあった。
しかし、先日久しぶりにグリーンピール八女の温泉施設を訪れると、

売りでもあった八女茶のお風呂はなくなり、

高齢者が転んでも大丈夫なように設置されていた洗い場の畳も撤去され、

露天風呂などに入ってくる温泉湯量も絞られていた。


その他夏休みで利用者は増えていたが、プール横に併設されているバーベキュー場は、

運営スタッフ数は限定され飲食を扱う場所としては、

決して綺麗とは言えない状態でサービス提供されていた印象だった。

 

ホテルの売店やフロントを通っても、スタッフから挨拶をもらうことは殆どなくなってしまい、

お客様が前にいようと何も声を掛けない状態になってしまっている。
売店のお土産メニューも頻繁に更新されている様子はなく、

大きなポスターを掲げられている商品がどこに陳列されているのかも分からない状態である。

挙げればキリがないが、とにかくにして施設運営に熱がなく、

サービスとして再び利用したいと他人にオススメできる施設とは言い難い。
現在は新しく建設されたサッカーコートなどのハコモノの効果により利用者が増えているが、

果たして持続的な運営が維持できるほどの売上を、

10年後を過ぎても見込めるかどうかは疑問である。

私は、グリーンピア八女の現実を招いた諸悪の根源は、

運営主体の責任感が存在しないことにあると断言したい。
国がお金を出して作ったという点から始まり、自治体の合併による責任者の変遷、

民間企業が買収した訳でもなく、

一定の費用を得て期限終了までそつなく運営をすればよいという指定管理制度。

 

こんな要素全てに『責任感』というもののカケラを感じなくて済むように仕組まれてしまったのが、

パッとしない現状をもたらしているものと考えられる。

グリーンピア八女の例は、決して例外とは言えず、

八女市は今後どのような方向性を目指していこうとするのか全体像がイマイチ見えてこない。
それは、責任感ある主体の活躍が目立っていないからなのではないかと、

私は外部から見る限り感じざるを得ない。

木下斉さんに限らず多くの識者が何度も指摘されているように、

地方創生できる地域は、その土地に暮らす人が都会の意見とお金に頼り過ぎず、

自発的に運営していこうという意識が高い土地であるだろう。

 

葉っぱビジネスで注目を集め続ける上勝町などは最たるもので、

いろどりの横石社長が1人で自腹で料亭に通って、

「つまもの」というビジネスの種を探してきたことが今の成功に繋がっている。
困難に喘ぐ地方鉄道の再生は、

他業界からやってきた公募社長の手腕に寄るところが大きい印象であるが、

そのリーダーの行動を信頼している自治体の後押しがあるからこそ、

多くのこれまでにない動きが生まれているのが現状である。

昨日のいすみ鉄道社長ブログを読んでいただければ良く分かる)


ある地域が歴史的に見て、どこに強みがあり、どこに弱みを持っている、

そして経済的にどこに可能性があり、どこに限界がある。
それをしっかり部外者の意見を交えて考察した上で、

現実の難しさと、将来の希望的ビジョンを見据えて、

どんな街を自らの手で作っていこうかと考える地域人グループの力からしか、

困窮する地方経済は再生していかない。

時代がどんなに変遷しても、その土地の自治をメインに国作りをし続けている日本では、

あくまでも経済行動の主体は人々が生計を立てる地域を主体にせざるを得ない。
インバウンドによる経済がいくら盛り上がったところで、

人々の意識としてその地域に生計を立てている人の合意形成によって、

経済を動かすことをずっとやってきた事実を簡単に変化させるのは容易ではない。

ちきりんではないが、自分の頭で考えて行動する地域経済からしか、

独自性を維持し続けられるアイデアは生まれてこない。


東京など都市部に生活している人々は、その土地の経済合理性に従って物事を思考する訳で、

それは山間部などの地方経済にそのまま当てはまるはずがない。
加えて、都会の知識に頼るという行動に逃げてしまう自治体の人々に、

他者を惹きつけるような魅力が湧いてこないという側面もある。

江戸時代、260年に渡って江戸幕府という大きな日本の柱はあるものの、

六十余州と呼ばれる多くの地域によって経済行動が営まれ、他藩との交流をしつつも、

原則的にその地域はその地域の中で経済を成り立たせようと将軍以下人々は行動した。
まだまだその江戸時代が終わった時代から200年も経過していない日本では、

市井の人々の行動形態に大きな違いはない。
もちろん、過剰に集中する都市部生まれの住民は、

それとは全く別の論理で行動しているのは言わずもがなではあるが。

私は、波佐見に辿り着くまでに、日本列島いろいろな地域を旅してきた。
やはり旅をして楽しいのは、他の土地では味わえない人情豊かな人々との交流に他ならない。

 

運営主体が革新的な東京の会社であったとしても、

そこに働く人々の意識が入らないサービスは浮き足立つものであり、

遠方からくる人々に感動を与えられるものとはならない。

 

全くスマートでなかったとしても、くしゃくしゃに笑ったおばちゃんが、

美味しい肴をつまみに地酒をサービスしてくれる居酒屋に、

私は人を呼び寄せるヒントを求めたい。

 

どんなに実績を持っているコンサル先生に地方が良くなる処方箋を求めるより、

地方で少しでも自分の力で人を呼んでいる人をじっくり観察して、

自分なりにその意味を考えて、それを活かして行動していった人にこそ学ぶべきだ。


あ、そういえば波佐見に移り住んで、

地元の居酒屋に1人で出掛けたことがないので、今週末出掛けてみます!

JUGEMテーマ:地域/ローカル

地域 | 06:47 | comments(2) | - | - | - |
町づくりのやり方はその土地によって異なる。決してコピペ出来ない。
ここ最近、いろいろな角度から、様々な街を眺めている。
都市部、田舎部、人口増加地域、人口減少地域、
首都圏、県庁所在地、注目を集める土地、注目が下がる土地。

日本全国津々浦々をほっつき歩いてきて、間違いなく断言できるのは、一箇所も同じ土地はないということ。
そこに暮らす人、その人々の考え方、建物、その土地の人々が重んじる文化、全て別物である。

また、一つの区切られた土地であっても、
その場所を構成する人々が感じる居心地の良さは三者三様で、
どれが正解で、どれが間違っていると断言することは困難である。

だからこそ、他の土地の良い点を盗んで、
それを単純に横展開しても、別の土地には馴染むことはない。

結局は、その土地に住む人が、
自らの暮らしている環境の良さを、自分たちの頭で考えて、
これまでに培われた歴史を踏まえて、
その土地ならではの魅力を高める努力を、
一つ一つ重ねる他に、素晴らしい町づくり手法は存在しない。

日本国の財政再建、不採算事業を多数抱える企業の再生、
人口減少が続く自治体の復興などなど、
誰かが状況を変えてくれるはず、
そんな思いを持った人が指揮を執る組織が、何かを問題解決できるはずはない。

大切なことは、まず自らが信念を持って、
何かを行動を変えて、それについてくる人々を求めるほかに、
優れた地域の活力を高めていく近道は存在しない。


では、町づくりにこれから取り組もうとする人が、
何を手始めにやるべきなのだろうか?

私は、以下の二点をまず初めにやるべきだと考えている。

まずは、その土地を歩き回り、その土地に住む人々に良い点を悪い点を聴いて歩くこと。
次に、その土地の歴史を調べ、どうやってその町が作られて発展してきたのかを良く調べること。

これをしっかりと分析して、他の土地との比較を行った上で、
何がその土地にあった文化なのか、何がその土地にあった働き方なのか、
これを一言で表すことが、町づくりの基本になってくるだろう。

コンセプトがはっきりすれば、何を取り組むべきなのか、
町づくりを担う人々が共通の目的を持って始めて、行動を共にすることができる。
どんなにやる気がある人が集まっていたとしても、
目的がバラバラである組織は、その力を十分に発揮できない。

そんなことを波佐見と有田という隣接した土地を歩いて、
幾らかの人々と会話して考えさせられている今日この頃である。

さて、私は波佐見と有田にどう関わって行くのだろうか。
もう少し、自らの行動指針を明確にするために、頭の整理が必要なようだ。
JUGEMテーマ:経済全般
地域 | 21:37 | comments(2) | - | - | - |
宇都宮浄人著『地域再生の戦略-「交通まちづくり」というアプローチ-』読了

私はこの著書をいすみ鉄道社長ブログにて拝読し、これは絶対に読むべきだと直感し、

Amazonでワンクリックで入手した。

日本銀行調査統計局にて物価統計課長などを務められ、現在は関西大学経済学部にて、

数々の交通に関する調査、提言に当たられている宇都宮氏の交通政策へのアプローチは、

私が長らく探し求めていたものとまさしく合致する内容であった。

交通という経済社会の血流を中長期視野からインパクトを持って変え、

そこから人々のライフスタイルをソーシャルコミュニティ型に変化させ、

新たなまちづくりを行なっていくというアプローチは、私の頭にあった

ぼんやりとしたものをまさに言語化した、宇都宮氏の優れた提唱である。

まず、私自身を振り返ってみると、自宅のすぐに後ろを国鉄矢部線が走っており、

わずか4歳の頃に廃線になったにもかかわらず、小学生時代は図書館にあった

矢部線写真集を暇があれば眺めながら、この鉄路に関わった人々に想いを馳せていた。

昭和60年に八女市を走る唯一の鉄道が廃止されてから以降、

八女・黒木・上陽・星野・矢部・立花といったこの周辺自治体は人口を減らしつつある。

もちろん鉄道だけがその結果を招いたわけではないが、

国道整備がなされていても、他地域からの人口流入には結びついていないのが現状である。

代替交通機関の堀川バスも運行頻度はかなり少なく住民に十分利用されているとは言い難い。

といった身近な地方交通に対する問題意識がそもそも私の中に存在している。

その上で、この新書は以下のような流れで、地域と交通について概観されている。

第1章 地域と交通の負のスパイラル(水戸市などの現状)

第2章 政策の模索(規制緩和、100円バスブーム)

第3章 交通政策基本法の成立(民主党が提起し、自民党が法制化)

第4章 交通まちづくりとは何か(モビリティマネジメントといった考え方)

第5章 芽生える交通まちづくり(富山ライトレール・宇都宮LRT構想等)

第6章 ドイツ・フランスの成果とその背景(公共交通と自動車交通の共存策)

第7章 費用対効果を考える(社会的便益を含めた交通投資の効果測定法)

第8章 ソーシャル・キャピタルという新たな効果(交通が生むつながり活用法)

第9章 これからの日本の課題(中長期的なSTOフレームワークの考え方)

宇都宮氏は、地方再生が謳われながらも、交通機関が次々に失われ、

地方が疲弊していく様を目の当たりにして、住民が主体的に、交通政策に

短期的ではなく中長期的な視野で考えることで、より豊かな地域づくりができると考え、

多くの人々に、その希望の火を探すつもりで、この著書を書き始めたそうである。

書かれ始めたタイミングは、青森県十和田・長野県松代地区で鉄道が廃線し、

井笠鉄道バスが突然破綻したというタイミングのすぐあと、2013年初めだそうで、

この著書の導入部では、地域の厳しい現状を突きつける暗い話題が多い。

しかし、交通政策を大きく転換させる可能性のある基本法が成立したことを契機に、

ヨーロッパで公共交通の進展が街に人々の好循環を見出した事例などをしながら、

どのような方向性が、街を変えていく交通政策となりうるのかと、

希望を待った提言が大なり小なり数多くなされている。

もちろん、新書形式であるので各論には及んでいないだろう。

また、交通まちづくりの課題や展望は、各地域ごとに全く状況が違うため、

そもそも、一括してビジョンを提示できるような代物ではない。

しかしながら、あくまでも住民が主体となり、地域の行政・民間企業・非営利団体などが、

交通政策に対して知見を集約し、街の将来展望を踏まえた取り組みを行っていくことが、

寂れた中心市街地を復活させ、人々の結びつきを強める契機を与えるだろうという指摘は、

日本全国規模の大小にかかわらず、多くの地域に当てはまる視座ではなかろうか。

私がこの著書を手にするきっかけになった、千葉の廃線寸前のローカル線、

いすみ鉄道が様々な施策を打つことによって、年々利用者を増やしている実態を鑑みても、

単年度の採算だけで、その地域に存在する交通機関を決めつけるのは、

地域住民、行政機関、その地域の地場企業、誰にとっても不幸な結果しか招かない。

そうではなくて、1年間、3年間、5年間、10年間、30年間、そういったスパンで、

どのような街が、その地域にマッチしているのか、そしてそれを築くには、

どういった交通インフラを整備することが、全体最適をもたらすのか、

それを求められているのが、都市部でも地方部でも、日本の現状であろう。

政府財源が限られ、経済発展も限度があり、人口自体が減少するなかで、

コンパクトでありながら、様々な人々が交流するまちづくりをするには、

多くの人々にとって、接点となる公共交通機関が存在する必要があるだろう。

そのためには、まず第一歩としてどんな視点が必要なのか、

この一冊をじっくり読み、街を見渡すだけで、おぼろげながら理解できるはずだ。

私も、今後好きこそものの上手なれという言葉を信じて、

もう少し身近な地域の交通まちづくりについて考えて、

どのような30年後の交通機関が、その街を盛り上げているのか、想像してみたい。

ただ、そんなことを考えてみるだけワクワクしてくるのだから。

こんなに精神衛生上よいことはないだろう。
京浜東北線
(写真は2015.8.4架線断線により長期運休した京浜東北線のE233系)

JUGEMテーマ:経済全般
評価:
宇都宮 浄人
筑摩書房
¥ 821
(2015-06-08)
コメント:まちづくりに交通という視点を加えるだけで、より広範囲に、長いスパンでその地域を見つめられるようになるという視点は、この著者なりのオリジナリティ。非常に具体的な点に意義がある。

地域 | 00:58 | comments(3) | - | - | - |
都会での老後、田舎での老後、それぞれに必要な準備とは?
(マイナビウーマン2014.10.4)
Q.あなたが老後住みたいのは「田舎」ですか? それとも「都会」ですか?
田舎……43.5%
都会……56.5%
※マイナビウーマン調べ(2014年9月にWebアンケート。有効回答数108件。22〜39歳の社会人男性)

マイナビウーマンのアンケート集計をみて、案外拮抗しているなあと感じた、
老後の都会暮らしと田舎暮らしの希望である。

田舎暮らしに憧れる人が増えたのか減ったのかどうかは分からないが、
政府が主体的に地方創成に取り組んでいるほどであるので、
いずれも選択肢に入れている人が多いという一側面なのだろう。
ただし、アンケート母体が少なすぎるので若者の総意反映とは言えない。

私は8年間東京都に暮らしてきた。その前には広島市に3年間居た。
学生時代までは田舎に生まれ育ち、それ以降の三分の一の期間を都会で暮らしている。
私が考えるにそれぞれの暮らしに必要なものは以下の通りである。
あくまでも社会保障制度などによる自治体格差は考えない一般論だが。

1.都会で老後を送るために必要なもの(優先度順)
お金、土地、家、仕事(株式)、趣味

極論、都会で生活するにはお金が沢山あれば解決する問題が多い。
なぜならばサービスを提供する事業者が多いため、生活に必要なものを対価を払えば多く得られる。
逆に言えばお金がなければ何をやっていくにも非常に困難である。
使えば毎年減っていくお金を補うのが、不動産である。
大きな資産を維持できていない人々にとって、無くなっていくお金を得る手段を維持できる、
収入源を持つことが都会の老後に必要なスキルだろう。
ただし、都市部でもすべてを消費だけで生活するのは、
非常に困難なことなので趣味を持っておくことも重要になる。

2.田舎で老後を送るために必要なもの(優先度順)
愛想、仕事、お金、趣味

極論、田舎では死ぬまで日銭を稼げる仕事をしていれば生きていける。
人口は放っていても少なくなる日本の田舎である。
あばら屋でよければ、住む場所を探すことには困らないだろう。
食べるものを自らで作り、余ったものを誰かに売ることができれば一人なら暮らしていける。
そのためには、何かしらを作り出すスキルを持っておくことが必要不可欠である。
その筆頭が、モノを売り買いできる「愛想」である。
これを全く持ってもっていない人は、田舎で暮らすのは至難の業である。
ご近所付き合いができないと田舎暮らしをするための様々な手助けを受けられない。
お金は手段としての位置づけになるので、大資本家であっても、愛想がなければ、
田舎で安定した生活を送っていくことは困難であろう。だから都会に出て行くのだ。

上のような頭の体操をした上で得られる結論は、
「若者よ、働くスキルを身につけるか、愛想を磨け!」となるだろう。
昔のように人が増えていき不動産が逼迫する時代ではない。
またLCCや高速バスなどの普及によって移動コストも下がっている。
だから、極論どこに住んでいても、すぐに家移りしやすい環境が出来つつある。

大切なことは、自分自身の生き方に会った場所がどこなのかを常に問うことである。
これを若いうちからやっておけば、老後になる前にあたふたすることはない。
都会には都会なりの難しさ、田舎には田舎なりの難しさがある。
もちろん逆に、都会なりの利便性、田舎なりの気安さがある。
それらを天秤にかけるために、自らを分析できない人々は、どちらでも生きにくい。

私の目指す老後のスタイルは、田舎でも都会でも沢山の友達がいる状態である。
今週は田舎にいて、来週は都会にいる。仕事はどちらにもありながら、
暮らしている場所は田舎であるといった暮らしに憧れを抱いている。
しかし、都会の姿も田舎も姿も三十年経てば大きく変化する。
30代の若者が、その時の想いで老後を描いても現実は大きく違っているはずだ。

将来を考えるためには、多くの高齢者と腹を割った話をしていくこと、
これ以外に未来展望を明るくする術はないのではないか、それが私の現時点での結論だ。
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