黒木町日記

実家のある福岡県の黒木町。2010年2月1日をもって、
八女市に吸収され、名前も聞く機会もめっきり減りました。
ちなみに、管理人は東京都暮らしを経て長崎県在住です。
<< October 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
 
ARCHIVES
RECENT COMMENT
  • 飲み屋のお姐さんに嫌われない方法〜嫌われる7つの振る舞いを避けよう〜
    光 (09/15)
  • 若者よ、失敗を恐るな。
    光 (07/06)
  • 新しいことをやる人々は、周りにエネルギーを与えてくれる。
    光 (06/25)
  • 新しいことをやる人々は、周りにエネルギーを与えてくれる。
    深沢清 (06/25)
  • ホンダジェット 開発リーダーが語る30年の全奇跡 前間孝則著 読了。
    光 (06/03)
  • ホンダジェット 開発リーダーが語る30年の全奇跡 前間孝則著 読了。
    深沢清 (06/03)
  • 農協は地域でなにができるか -大分大山町農協の実践- 矢幡治美 著 読了
    光 (05/05)
  • 農協は地域でなにができるか -大分大山町農協の実践- 矢幡治美 著 読了
    深沢清 (05/05)
  • 人物戦後政治 〜私の出会った政治家たち〜 石川真澄著読了。
    光 (04/18)
  • 人物戦後政治 〜私の出会った政治家たち〜 石川真澄著読了。
    深沢清 (04/18)
にほんブログ村参加してます。
MOBILE
qrcode
PROFILE
無料ブログ作成サービス JUGEM
 
熊本地震、その直後に福岡にいた私が感じたこと。
木曜日、土曜日と大きな地震が熊本や大分を襲った。
阪神淡路大震災に匹敵する地震動の影響を受けて、
沢山の人々が命を失い、安住の住処を奪われている。


私は、たまたま決まっていた予定通り、
土曜日早朝東京から福岡へのフライトを経由して、実家の八女市へ車を走らせた。
福岡市内から九州自動車道を経て、福岡県と大分県、熊本県境にある八女市までのドライブでは、
殆ど日常的な光景が広がっていた。
実家に帰り着いて、家族と顔を会わせるも、強震に遭遇したという会話以外には何の変化も感じなかった。

本来であれば、八女市で家族と合流し、宮崎に向かう予定になっていたが、
高速道路が使えずに熊本県大分県という隣接地域で地震が多発しているために、
予定をキャンセルして八女市にて日曜日までの時間を過ごすことになった。

東日本大震災当時、東京で暮らしていた私にとって、
震度3程度で多少揺れたなあと感じるものがあったとしても、
そこまで大きな恐怖を感じるものではなかった。

土曜日明け方まで断続的に続く地震のために夜にゆっくり眠れなかった家族は、
私が帰り着いて昼食を食べ終えると、寝息を立ててつかの間の昼寝を心地よい顔で満喫していた。
土曜日の夜には、一度大きな余震が起きたものの、
身体に不安を感じる程のものではなかったために、家族も私も心地よい朝を迎えることが出来た。


ただし、福岡の放送局から発信されるテレビは、
繰り返し地震に関するニュースを伝え、コマーシャルはACジャパンの番組が繰り返されている。
熊本市内で働く知人にSNSで状況を聞くと、職場は危険で戻ることが出来ず、
別の施設に避難して休みもなく仕事を続けているとの返事をもらう。
頻繁に走っていた九州新幹線は一切走っておらず、福岡県内なのに国道3号線は熊本ナンバーの車が次々に南下している。

普段ではあり得ない地震に遭遇し、
電話やLINEのメッセージでは心配そうにしていた家族も、離れて暮らす子供たちの前では、
普段通りに安心していて全くの日常を送っているように感じた。

目の前で何度も直視したことのある熊本城や阿蘇大橋、
幼い頃から何度も足を運んでいる阿蘇の町並みは、原形を全く留めていない程に変化してしまった。

当たり前と感じていることが、如何に薄氷の上に成り立っているのか、
考えさせる日々が少しずつ身の回りで起き始めた。
これから見慣れた熊本の景色を目の当たりにする機会があるだろう。
そして日常の生活を奪われてしまった人々に出会うことが間違いなくある。
その時に、改めて日々に接する事柄が如何に一期一会なのかということを実感として考えさせらるはずだ。

であるならば、まずは目の前にいる人々に、誠心誠意接していく他に自分が出来ることは存在しない。
自分自身を頼りにして下さる人々に、少しでも自らの働きをもって応えていく他に存在価値はない。

東日本大震災は遠くの土地に起きた事態で、私には何も出来なかった。
しかし、幼い頃1年に一度近く足を運んでいた阿蘇は私を育ててくれた土地である。
決して余所事ではない。
今は何をすることも出来ないけれど、事態が少し落ち着いたら、
せめて僅かながらでもこの身をお世話になった土地のために動かさなくてはいけない。
それが今の私が心から浮かんできている生命衝動である。

今は緊急救命事態であるが、今後状況が落ち着くにつれて、
復旧復興に励まなくてはならない非常に長い時期がやってくる。
その際に、何が私に出来るのか、それを頭にいれつつも、
まずは目の前にある仕事に一生懸命になり、自分が出来ることを少しでも磨いておきたい。
被害を受けている土地の人々に少しでもお役に立てる日々がいつかやってくることを信じて。
JUGEMテーマ:大地震
八女 | 21:13 | comments(2) | - | - | - |
昭和60年4月1日廃線。国鉄矢部線に想う鉄路の存在価値。
先日、帰省した際に鹿児島本線羽犬塚駅のホームを覗いてみたが、
すでに矢部線ホームであった0番線の影も形もなくなっていた。
実家の棚に、ふと矢部線走行風景を写したVHSビデオがあったので、
ぼんやりと思い出して、この小論を書き始めてみた。

私は、1981年1月生まれであるので、矢部線が走っていた事実は、記憶としては殆ど残っていない。
廃線跡や、国鉄矢部線写真集などの記録などで、当時を辿ってその記憶を新しく描こうとした少年時代だった。
とはいえ私は、母親曰く、少ない運行本数ながらも、列車が通過するたびに、
線路端に走っていき、ディーゼルカーを追っかけていた幼少時代だったそうである。
何しろ、実家のすぐ後ろに線路が通っていたので、家の中まで警笛が聞こえてくるほどの生活スタイルだったのだから。

子どもの頃の経験は一生に大きな痕跡を残すようで、35歳の今になってもローカル線を眺めると、
それだけで和みを得られるのが、私にとって一番の癒しとなっている。
国鉄矢部線は、筑後市の羽犬塚駅から八女市の筑後福島駅を通って、
現在は八女市になった黒木町にある黒木駅を結んでいた19.7Kmの非常に短いローカル非電化線であった。
昭和20年と非常に新しい時期に開通した線路でありながらも、
そもそも乗客需要を想定した鉄路ではなく、開通から廃止まで常に赤字だったはずである。

その芸名とおり、黒木町出身の黒木 瞳氏が、
八女高校への通学にも利用していたこのローカル線であるが、
残念ながらモータリゼーションの進展と大きな沿線人口増加要因もなく、国鉄の赤字を減らすため、
1981年第1次特定地方交通線に指定され、それから4年後に40年とその短い生涯を閉じた。

2016年現在も、矢部線廃止時と同様に、利用者が減少し、運行本数が減らされ、
廃線を危惧されている鉄路が日本各地に存在している。
地方人口は減少し、自治体財政も厳しく、鉄道の役割も限定されている昨今、
日本のローカル鉄道を取り巻く環境は、非常に先行き不透明な時代が続いている。

しかし、廃線跡を見つめてきた私は、やはり鉄路が存在するとしないでは、
その土地の魅力に大きな違いが出ることを感じずにはいられない。

車は基本的に、日本では非常にパーソナルな乗り物である。
自家用車がその大半であるため、バスであってもマイカーを避けるように走らざるを得ない。

一方、鉄道はレールを占用して走っているために、それ以外の乗り物の都合に合わせずに、
基本的に事前に決められた時刻に合わせて、信号と運転士の操作だけによってコントロールされている。
そこに乗り合わす乗客は、よほどの緊急時以外は、運行に対して一切の影響を与えることなく、
全てを鉄道会社に委ねて移動の足を任せてしまっている。

都心部で顕著なように、殆どの庶民は、鉄道に生活の大半の移動を任せており、
鉄路なしには通勤通学始め日常の移動もままならない。
一度に数十、数百、千人以上の人間を運び、年間の遅延時間は均してみると
非常に微々たるものであるのが、日本の鉄道なのである。

決められた場所で働き、決められた時間に行動し、
大きな存在に自らを委ねて生きている多くの日本人そのままに、
日本の鉄道は今日も決められたダイヤで列車を走らせている。
特定の遠隔地鉄道以外は、基本的にどこかで別の鉄道と接続されており、
人々を何の前提条件も必要とせず、その対価である運賃だけで終点まで誘ってくれる。

他の路線と繋がってさえいるのならば、他からお客さんを呼んでくる可能性を必ず持っており、
その沿線地域がその努力さえするならば、他者を引き寄せる可能性を見出してくれる。
マイカーが主導権を個々のドライバーに依存するのとは大きく違い、
あくまでも人を輸送する主導権は、交通機関側に存在するのである。

全国で少しずつ公募社長さんが、独自の利用者促進策を講じながらローカル線の舵取りをされているが、
利用者増に導いている会社に共通するのは、鉄道に限らず、
地域の魅力を高めようとする努力を積み重ねられている事実である。

人を呼び込むという作業は、条件面では短期滞在・長期滞在などきりがないし、
基本的には自治体でやるべき作業なのかもしれない。
しかしながら、これほどまでに財政は厳しく、独立性が乏しく、
課題が山積する地方行政機関の現状を垣間見ると、
人を呼び込むだけに自治体のフルパワーを発揮するのは殆ど非現実的とは言えまいか?

餅は餅屋に任せるべきで、人を運ぶことが使命である交通機関に、
人を呼び込む力を存分に発揮させることこそが、地方に求められる生き方なのではなかろうか。

そのためにも、失われた鉄路をしっかりと振り返った上で、
今絶滅の危機に瀕している鉄路の価値を今一度見直し、
どうすれば、人を呼び込む力を最大化できるのか、
地域の人々みんなが話し合ってみる意味は非常に大きいはずだ。

鉄道路線の単体収益だけで、存在価値を論じるのではなく、
人を招いている価値をきちんと加味し、鉄路の存在価値を評価する仕組みが国にも求められるだろう。

ともあれ、まずは多くの人々が懐かしさを感じる列車に乗って旅をしてほしい。
そうすれば必ずその価値が他では得られないものだと気がつくはずだから。
矢部線
JUGEMテーマ:鉄道
八女 | 00:47 | comments(2) | - | - | - |
八女市に足りないもの(八女市シリーズvol.1)
黒木町日記を謳っているくせに、八女市についてあまり触れてこなったので、
これからしばらく、私の八女市に対する私見を述べてみたい。

まずは、現状で八女市に足りないものを10個挙げてみる。
-----------------------------------
1.情報発信能力

八女市ってどこ?東京に住んでいると、ほとんど存在感はない。
八女茶すら知らない人は多い。
観光でも、移住でも、人を呼び込みたいと考えている市政方針実現のためには、
八女市のことを知らせる努力が必要不可欠である。
これは、役所にも言えるが、個々の市民にも言える。
適度に食えてきたからこそ、危機意識が乏しい。

2.働く場所

幾つかの企業が立地するものの、殆どの働き場は、
市役所、病院、介護施設、JAなどの営利追求に欠ける組織である。
この分野は、同じ人を長い時間を雇用させる形態が多いため、
新規雇用は基本的に欠員補充に限られる。
また、採用枠があったとしても、キャリア保持者や新卒枠が大半で、
転職者には厳しい受け入れ環境である。

闇雲に人材が流動化することが良しとは言えないが、
新しい人が入らないと、組織自体の活性化が進まない。

3.稼ぐ力

八女市自体に稼ごうとする意思が感じられない。
企業立地や定住促進などの政策に継続性がなく、他と比べての優位性も乏しい。
合併特例債によって進められた投資も箱物が多く、
しかも果たして有効かと首を傾げるものも多い。

稼ぐ意識を明確に持っているのは、八女市資本では居酒屋くらいではなかろうか。。。

4.人を呼び込む力

1の情報発信能力にも繋がるが、
他からお客様を連れてこようという意識に乏しい。

八女の中心福島は、近隣からの商いによって町並みを形成したことを
完全に忘れてしまっている。
国道442号バイパス整備が進んだが、
高速道路や国道3号線から車を誘引させる術は決して満足できるものではない。
また、定住促進を呼び掛けているにも関わらず、
部外者が八女市を知る機会を増やしているとは言い難い。

いろいろな意味で、八女市のセールスマンが必要なのである。

5.人々が交流する場所

先日知人と福島辺りで居酒屋を探していた。
確かにお店は増えているが、基本的に家族や友達での群れに終始する客層である。

イベントは幾つかあるのだが、前年継承のものが多く、年々盛り下がる印象がある。
大規模施設を作るのではなく、地域住民が、観光客が、
相互に交流を図れるような場所がこのような時期にこそ、必要である。
昔ながらの町屋を綺麗にしただけではなく、そこを人々が集えるよう、
特にソフトの整備が必要であろう。

6.人々が学べる拠点

八女市には大学がない。
図書館はあるけれども、何かを教えてくれる先生と接する機会は、
社会人にはほぼ皆無と言ってよい。

情報化進展により、市民が新しい考え方を学ぶ必要は高まっているにも関わらず、
それに対応できそうな施策はない。
また、市民同士で学びあいを行うという雰囲気もほとんど聞かれない。

規模は小さくても、ここに行けば常に何かを教えてくれる先生がいる。
そのような拠点が必要なのかもしれない。
何故ならば、何かを主体的に学ぼうとする市民は決して多くないからである。
最初は引き上げてくれるような仕組み作りが基盤になるだろう。

7.政治を考える機会

市政、国政、ともに保守的な支持基盤の強い政治家が当選を重ねる場所である。
初当選時、最年少市長であった野田氏が国政に挑んだ選挙は
いずれも選挙区勝利とは言い難い。
マニュフェストによって市長を選ぶという取り組みが試されたが、
その後継続して市政チェックしている市民は皆無である。

まずは、部落や自治会規模からでよいのだが、
政治について考えて行動する機会を増やすべきである。
市会議員も選挙直前にならないと名前すら聞かれない、
そんな議員や候補者を許していて、優れた市政は実現できないだろう。

市職員家族が割合的に多いから批判をしにくいと逃げる声も聞かれる。
出来ない理由を探すのではなく、自分達で八女市に対して何が出来るだろうかと、
やれることを考え行動する動きこそ、八女市の将来を作るはずだ。

8.子供が一同に会する機会

八女市では全国傾向と同じく、
子供の数が減っており、保育所、幼稚園、小学校、中学校、高校の
規模は年々減少傾向にある。
そのような中でも、子供たちが一同に会する機会を私は知らない。
存在するかもしれないが知名度はない。

子供が少なくなるのであれば、他者との触れ合いの機会も減り、
多様な考え方を知るきっかけも極端に減っていく。

子供たちは、自らのことを知らない人々に、
自己をアピールすることによって、自らの考えを認識し、研鑽していく。
そんな機会を作ってあげることは、地域の大人の責務ではなかろうか。
子供たちが元気に笑顔を見せる場所が増えれば、大人も必ず笑顔になる。

9.祭り

上の子供たちが集える場所でもあるのだが、
祭りは地域社会に彩りを与えるとても大切な仕組みである。
多くの人々で準備を重ね、パフォーマンスをし、
さらに多くの人々をイベントによって巻き込んでいく。

この祭りを繰り返していくことで、
人々の関わり合いが増え、自らの魅力、自らの地域の魅力に気付くきっかけとなる。

地域外の人々が、その土地を知るためにも、
非日常である祭りという機会は、ハードルを下げ、興味関心を高めてくれる。
また、継続した祭りがあると、年齢を超えた繋がりが維持できる、それも大きな力である。

10.歴史を知る機会

八女市史上最大の歴史的人物は、岩戸山古墳の建造者である筑紫の君磐井である。
小学校などで簡単な学習は存在するが、
磐井について深くしっている市民はそんなに多くない。
また坂本繁二郎などの画家や、五木寛之などの作家など、
所縁のある人物についての学習契機も乏しい。

これはつまり、郷土の歴史に興味がないということの表れと言えないだろうか?

歴史を知ること、それは自らがどうやって、
今そこに立っていることを追求することである。
歴史を知ろうとする人が増えれば増えるほど、土地の対する愛着が増える、
また地域の魅力を誰かに語りたいと思えてくる。

一番最後に挙げたが、もっとも大切なことだと私は思っている。

-----------------------------------
以上、まだまだ各論には具体的に踏み込めていないが、
今のところ、私の思いつく、八女市感である。
これから、しばらく八女市について考えてみたい。

JUGEMテーマ:福岡県 
八女 | 08:55 | comments(3) | - | - | - |

(C) 2017 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.