黒木町日記

実家のある福岡県の黒木町。2010年2月1日をもって、
八女市に吸収され、名前も聞く機会もめっきり減りました。
ちなみに、管理人は東京都暮らしを経て長崎県在住です。
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思ったことをそのまま言うことの難しさは必ず克服できる。

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数日前から考えさせられている。

自分の気持ちを率直に告げることが出来ることがどれほど恵まれていることなのだろうかと。

世の中には言いたいことが言えない人々が沢山いる。

かといって、自らが思ったことを何の責任も持たずにペラペラと放言するのも何か違う気がする。

要するにある程度の「空気を読む」必要性を感じるわけである。

しかし、空気を読むにしても、自分自身の気持ちに不正直のままに、

思ってもいないことを周りに伝えていたら、いつかは思いと行動にズレが生じるだろう。

だからこそ、身の回りの『空気』と、今の自分の気持ち、

そして身の回りと自分自身の本来あるべき姿をよくよく考えた上で、意見表明すべきなのだろう。

ただし、考え過ぎていると、意見表明する機会を逸してしまい、

すでにその意見が無意味になってしまいかねない。

 

夏目漱石時代から、日本人が自らの意見を持っているにも関わらず、

それを素直に表明出来ない人々が悩んでいる事実が、

良いのか悪いのか迷いを吐露する人は絶えない。

明治の文明開化は、欧米の個人主義を輸入したので、

一人一人が意見を表明することの意義を「学問ノススメ』によって強く訴えられた。

そこからかなりの時間が経つけれども現代の日本人でも、

周りの人との調和を気にして、あまり自分の意見を主張しない人が多い。

しかし、本当にそれが自分自身のためになるのだろうか。

 

私は思うのだ。 日本国民統合の象徴である、

天皇陛下に学ぶことが沢山あるのではないかと。

天皇陛下は、自らの意思を広く国民に表明された。

そのことが政治的に取られると、自らの行為が憲法を犯してしまうために、

意見を幾重にもオブラートに包みながら。

 

天皇陛下は、皇后陛下とともに皇太子時代から、

世界各地の戦争跡を訪れ慰霊を行い、 日本各地の災害被災地を訪れ被災者を励まされた。

膝を折り、その土地の人々と同じ目線に立たれて。

 

その一方で、自らも宮家以外からお妃を入れられ、

子息にもその行為を認められ宮家の恋愛のハードルは確実に下がった。

今でも運転免許証を持ち、自らでシビックのハンドルを握られていた。

 

自分自身の行動を束縛されざるを得ない宮家という存在のリーダーである天皇陛下は、

自らが生きる権利を得るために不断の努力をなさっている。

まさに、日本国憲法を体現されていると言ってまったくおかしくないのだ。

権利は、それを主張することで初めて効果を発揮する。

黙っていても何も得られる保証はない。

 

天皇陛下は、自らの意思を表明されるとともに、

思ったことを言うことの大切さを国民に伝えようとされているのではないか。

 

少子高齢化により日本中で人口が減り続けるなか、

日本銀行が市中から証券を購入するというイレギュラーの行為を行って、

どんどん国債を引き受けるために、その発行額に歯止めが掛かからない。

結果として、政府として何が本当に最もやりたいことで、

何をやらざるべき事なのか国民に分からなくなりつつある。

 

思ったことを誰かに表明するためには、自分自身で何が伝えたいのか、しっかり考えることが必要。

伝わらない内容をどれだけ告げようと、誰もそれを受け取ってくれなければただの徒労に終わる。

 

私はこう思う。

その結果、これがやりたくてこれが出来ない。

だから誰々にどうして欲しい。

まずはこのフォーマットをマスターすることから始めれば、

思ったことを少しずつそのまま言えるようになるのではないでしょうか。

もちろん誰にでも意見表明することは困難でしょう。

だから始めは、一番気持ちを伝えやすい相手に対してボヤいてみることからで良いのです。

ただし、そこで立ち止まってしまったら、あなたを擁護してくれる人は増えていきません。

他の人があなたの意見を確かに納得できると認めてもらうには、

誰かの想いが含まれていなければなりません。

みんなが自分勝手に意見していても、特定のグループはまとまりませんから、

複数の人々のためになる意見でなくては大勢に広まりません。

少しずつ、少しずつ、日々の練習を積み重ね、

オリンピックに向けてタイムを縮めていくアスリートのように、

私の言いたいことを伝える練習をやってみましょう。

 

天皇陛下が自らの意思を伝えられるのに、

どれほど苦慮されているのかを考えながら。

http://www3.nhk.or.jp/news/special/japans-emperor/

 

社会 | 06:30 | comments(0) | - | - | - |
すべての人々は、自分の想いを受け止めてくれる人を探している。

この週末、日々お世話になっている深澤さんのご案内で、

大分県への1泊2日の旅に出掛けてきました。


日田でお会いした高倉市議さん、
大分でお会いした建築士の宮部さん、
同じく大分にてお会いした大分大学の軸丸先生、
柳井さん、古賀さんなどなど、
多くの方と再会させていただいた時間は沢山の気づきをいただきました。

私が皆さんに近況を尋ねると、皆さんが目をキラキラして、返答してくださる様子に、

それぞれ内容以上に、深い感激をいただきました。

ふと私自身を振り返ってみると、果たして目を輝かして、

他者と向き合っている時間がどれほどあるのだろうかと考えさせられました。
きっとかなり少ない時間に止まっているはずです。
日々の仕事でも、アフターファイブのお知り合いとの会話でも知らず識らずに惰性に揺らぎ、

感動を十二分に分かち合う行動が出来ていないように思っています。

人はみんな、誰かに自身の存在価値を認めてもらいたい気持ちを持ちながら日々を暮らしています。
けれども、『私を認めてくれと』表立って要求することは、

恥であるという日本人の文化が存在しています。


私が生きている意義を認めて欲しいという人々と、
あなたが生きていることは素晴らしいことだと称賛してくれる人々が、
同居できていないことが、現代日本にとって一番の課題であるのかもしれない、

そんなことを考えさせられた2日間でした。

私は、人と人を繋ぐことをライフワークとしていこうと決めました。
本当に結びつくべき人が近くに存在しないのならば、

遠くにいる仲間を繋いでいけばよいはずです。
そんな仲間作りのちょっとしたお手伝いをすることが、私の仕事なのかもしれません。

今回、大分で出会った多くの大先輩方は、

他者の価値を認めてくれる笑顔を持った素晴らしい人ばかりでした。

『おもしろき こともなき世を おもしろく』
高杉晋作の辞世と言われるこの歌を私は、これまで主体的に受け取っていました。
けれども、本当はある人の人生を面白くしてくれるのは、

本人ではなくて、その行動を評価してくれる周りの人々なのではないでしょうか。

そのように考えていけば、
『◯◯さんは、凄いですね。カッコいいですね。』
向き合った人への敬意の気持ちをどれだけ表現することが出来るか、

それこそが私が他者と対面するときに、最も多く使わなくてはいけない言葉であるはずです。

人生を送っていくに当たっては、誰しもが不得意な要素を得意な要素、それぞれを持っています。

頭が良くても、社会的なルールを守るのが下手な人がいます。
自己表現は下手でも、周囲の人にそっと手助けをすることに秀でた人がいます。
人々と接するのは苦手でも、自然環境と接すると巧みにモノを作る人がいます。
片付けをするのは苦手でも、料理を作るのは非常に上手な人がいます。
普段は喋るのが下手でも、アルコールが入ればどんどん会話を盛り上げられる人がいます。
仕事をすることが苦手でも、オフの時間に同僚の繋がりを強めようと努力してくれる人がいます。

今の日本では、誰かの揚げ足を取ることが社会の階層を問わず一般的になっていますが、

果たしてそれで社会は良くなるのでしょうか?

私は、他者の良いところを伸ばす努力を繰り返すことが、

世の中を面白い方向に進める術だと考えています。

少子高齢化が進み、国の財政は悪化する一方、消費が伸び悩む経済環境下で、

そこで暮らす人々の日常生活が萎縮してしまうのは当たり前の結果でしょう。

だからこそ、『よかね〜』と叫びながら、他者の良さを受け入れて、
少しでも出会った人々が笑顔になる時間を増やす努力をしていけば、
社会環境がどう変わろうとも仲間を増やして、力強く生きていけるはずです。

福岡県と大分県の県境近くに実家を構えた私の先祖は大分をルーツに持っているようです。
だからこそ、大分に行くと何かしらのエネルギーを得られるのだと思います。

今回の大分における人生の先輩方との出会いは、

日本人の今後を大きく考えさせられたとても意義深い旅になりました。

『有難う』という言葉は、あなたがやってくれたことが

私にとってとっても貴重なことだったという気持ちを表しています。
そんな良いことの積み重ねを

少しずつ行っていくように精進していきます。

日田市・豊後大野市・大分市で出会った皆様ありがとうございました!
またお邪魔させていただきます。

JUGEMテーマ:モチベーション

社会 | 06:19 | comments(2) | - | - | - |
東京という砂上の楼閣、そこで生きる術。
今晩、新宿駅近辺でいろんな景色に出くわした。

山手線ホーム下に工事用砂袋が積み上げられていた。

打楽器で男性がリズムをとる姿をカップルが見惚れていた。

ジャズバーでは、男女が自らの話より会社の話に盛り上がっていた。

何が本来の姿で、何が偽の姿なのか、
東京での暮らしはそれを分からないまま時間が過ぎていく。

私は、この都市に居を構えて9年が経つが、
いつも他人のようでいて、なおかついろんな場所に、
仲良しになれる人が存在するような微妙な距離感を楽しめていた気はしている。

ただし、それを楽しむためには、どこかで自分という存在に蓋をしなくてはならない。
たくさんの人間が肩を寄せ合って暮らしているので、
全ての人間が自らの意思の赴くままに行動していたのならば、
都市生活はお互いの利害関係がぶつかる人の群れで、パンクしてしまうからだ。

春を迎えて、これから東京生活を始める人も多いだろう。
そんな人々に、これから田舎に移り住もうと決意した人間が送る言葉は、
とにかく目の前の出来事に向き合いなさいということだけだ。

東京という都市は、様々な物事がスピードを上げて進められることを前提に形作られている。
遅延は悪であり、素早く行動出来る人が儲かるように仕組まれている。
だからと言って、別にいろんな物事をセカセカ進める必要はない。

ただし、マイペースを維持しなければ、
行動が遅い人には慣れるまでは面倒なことが多いのも事実だろう。
だからこそ、まずは目先のことだけに取り組んでいれば、
周りにどれだけ沢山の人々が生活していようと、
集団生活が最適化されている東京では、
結構一つのことに集中できる環境が存在することも確かだ。

逆に言えば目先のことを離れ、一旦脇に目をやってしまうと、
集中力を切らすための存在は無限に存在するので、
自らが何をしたかったのかが分からなくなってしまう。

東京は砂上の楼閣なのだから、その先に見えるオアシスの姿を必死に追い求める他に、
都市部に慣れない人間がやることはないのかもしれない。

今日も明日も満員電車では同じような光景が繰り返されているように思えるが、
実はそこに乗っている人間は毎日違っている。
少なくとも、乗る時間を30分だけ変えるだけで、
間違いなく知った顔を見かける機会は大きく減る。

1日の中心をがむしゃらにやりながら、
ふと周りの人々の顔に目をやってみる。
みんな苦労してそうだし、みんな辛そうだ。
そんなに楽しそうな人は多くはないが、沈んでいるような人も多くはない。

今日を一生懸命に生きたからこそ、
周りにいる人々にも思いやりを持って接することが出来るのではないだろうか?
今日もそちら様もお疲れさまでしたと。

好きことを言い合える友達も、腹を割って話せる同僚もいなくても、
そこに潰されずに、みんな頑張ってる、私もちょっとだけやろう。

そんな心持ちを決して絶やさず持ち続けて欲しい。
きっとそんな貴方のことを見つめている人が、
東京のどこかに居てくれているはずだから。
JUGEMテーマ:モチベーション
社会 | 23:19 | comments(0) | - | - | - |
子どもが勉強しない!その時親が取るべき対処法
うちの子どもが勉強しなくて困っているどうしたらよいのかしら?
そんな悩みを抱えるお母さんは全国に沢山存在するのだろう。
けれども、子どもがどうして勉強しないのかを
本人をじっくりと観察の結果突き止めたお母さんも少ないのだろう。
だからずっと悩み続け、
小学校中学校高校大学と子どもの教育に常に口を挟みたくなるのかもしれない。

処方箋は一つしかないように思う。
大学卒業寸前で、もはや社会人になれそうにないという状況以外は、
そのまま放置したら良いのではないだろうか。

一年間、高校受験生に接してきて感じたことは、
行きたい高校が決まっている子どもは何も言われずとも勉強に取り組むけれど、
志望する高校も将来なりたい職業も決まっていない子はなかなかエンジンが掛からない。

だから、両親なり周囲の大人がまず気に掛けてあげたいのは、
本人が何故勉強しなくてはいけないのか、それにどうやったら気が付いてくれるのかを、
彼ら彼女らの行動を踏まえて、ヒントを与えるくらいなのではないか。

仕事にでも当てはまることだけど、
ある人のモチベーションを他者が意図的にあげるのは並大抵のことではない。
お金などエサにしてみたり、周囲のプレッシャーだったり、
環境を変えてみたりやったところで、
本人にもっともっとこれを全力で取り組みたいという意思がない限り、
やる気という焚き木に火が点かない状況なのだ。

昔の人は良い言葉を残している。
「可愛い子には旅をさせよ」
確かにこれ以外に、子どもに大人が与えられるプレゼントは存在しないはずだ。
勉強でも、その他の日常生活でも、大人が子どもに与えるべきは、
何らかの「刺激」であって、実際に手を施すことではない。

子どもが主体的にならない限りは、いつまで経っても、
何らかの「支援」を必要とする環境に変化はなく、子どもが大人に巣立っていくことは難しい。

子どもの手を離すのは、大人にとって、特に手塩をかけて育てた両親にとっては非常に酷なのだが、
いつまでも子どもの面倒を見ることが出来ない以上は、
早めに自らの手を離し、自分の力でもがこうとする子どもを見守るのが親の使命なのではないだろうか。

結局、子どもが勉強しないときに親が取るべき唯一の方法は、
子どもの環境を少しでも変えてあげること。
それくらいに過ぎないのではないだろうか?

私は、一年間なかなか勉強にエンジンが掛からない子どもに接してきた。
もちろん、受験が終わった今をもって、彼にエンジンが掛かったとは言い切れない。
それでも、受験日間近に短い時間ながらも、自ら勉強しようと私に声を掛けて、
マクドナルドで自習に取り組んだ姿勢には、それまでに見られなかった変化を感じた。

いつも時間に遅れてくる彼は、最終日の待ち合わせには、時間ぴったりにやってきた。
(前日寝る時間が短くてその日は早く切り上げたけれど)

勉強しないのは子どもの問題であり、親がどんなに焦っても何にも解決しない。
だからこそ、子どもを信じて、まずはいろんな刺激を与えてみることから始めてみてはどうだろう?

家で勉強しないのであれば、有料塾に通わせるなり、
無料で子どもの勉強に手を貸してくれる大人を探してみる。
または、図書館に連れて行ったり、科学館、動物園、
職場なり、親の母校なりに連れ出してみる。

親がどんな勉強をして結果として、今の生活をしているのかを知るだけでも
子どもにとって何らかの発奮材料になるのではなかろうか?

ちなみに私が中学生時代に勉強しようと強く思ったのは、塾の真正面に志望校があった。
たったそれだけかもしれない。

写真は中野よもぎ塾にて来年度の新しいメンバーをどうやって
選定しようかと中学生が意見を出し合っている様子です。
JUGEMテーマ:モチベーション
社会 | 08:01 | comments(5) | - | - | - |
不易流行〜日本庭園に学ぶ時代の超え方〜
昨日、お茶を振る舞う茶店の写真が撮りたいがために、文京区駒込にある六義園を訪ねた。
六義園は、五代将軍徳川綱吉の側用人
柳沢吉保が7年の歳月をかけて1702年に完成させた回遊式築山泉水庭園である。
http://teien.tokyo-park.or.jp/contents/outline031.html
明治以降一時荒廃していたものを岩崎弥太郎が購入し、岩崎家によって再興され現代の姿になったとのこと。

私は、気分の赴くままに、東京都内の日本庭園を何度か訪れている。
皇居東御苑も四季折々の草花が素晴らしい。
自然が豊富な田舎で生まれた人間だからこそ、緑を求めて日本庭園に誘われるのだろうが、
ただ木が生い茂る明治神宮など鎮守の森では味わえない、
人工的な文化価値があることで、その魅力を多分に感じるのかもしれない。

考えてもみてほしい。建物を300年維持し続けることは大変である。
伊勢神宮で式年遷宮が行われるのは大工など作り手の技術を維持するためにと言われている。
しかしながら、多くの所有者がしっかりしている日本庭園は、
若干の姿を変えつつも、長年に渡り作られた大枠を生かしたまま現代の人々を癒し続けている。

それは、そもそもが一番初めの作り手が、
日本人の精神文化に強い関心を持ち、
時間をかけてその土地の持ち味を生かして建設し、
日本ならではの四季をその一箇所で再現しようと、
丹精を込めていることが一番の柱である。
六義園を作った柳沢吉保も、和歌に親しんでおり、
その六義の由来は、紀貫之が使った六体という言葉に由縁があるそうだ。

建立から何世代もの時期を超えて、守り続けようと意思を思わせるものがあるからこそ、
多くの日本庭園が、庭師の手を掛けて、時の所有者の意を汲んで守られ続けている。

今では、日本人に限らず外国からの観光客の方々も、その静寂さを求め、
四季を感じるために足を運んでいらっしゃる。
完成当初から変わらないだろうが、鳥などの小動物も、
都会の数少ない緑を求めて翼を休める拠点として活用している。

何故に多くの生き物を惹きつけるのか、それは日本庭園にエネルギーがあるからである。
人工的な建物には、動物が吸収できるエネルギーは存在しない。
日本庭園には、沢山の木々があり有機物を生み出している。
水のせせらぎ、季節の草花は、
人間の精神に癒しを与える物質的、精神的な力をもたらしてくれている。
その人工的な容姿は、自然に出来た土地の風景にインスパイアされたものであるために、
人が意図的に作っていながらも、
あたかもずっとその土地にあるかのように不自然さを感じることなく風月に耐えている。

江戸時代から国の中心地であり続ける現代の東京地区において、
日本庭園が果たす役割は、本来自然人であるはずの
人間本来の生命エネルギーを快復する一時の癒しであったのだろう。
それは、2016年の現代においても普遍的であるからそこ、作られた時の姿をとどめて、
今後も多くの人々の心に癒しを続けるような価値を秘めているのだろう。

万物は流転することが避けられない。
多くの人間は100年以上生き続けることは困難だ。
どんなに頑丈な建物を作ったとしても
それを維持しようとする人が一人もいなければ、誰かによって破壊される。

経済に限らず、世の中が大きく変化していると考えられる時期だからこそ、
時にはじっと動かず、長い間その姿を変えていない存在に
じっくり目を凝らしてみる必要があるのではなかろうか?

日本庭園など、大枠は変わらないなかでも
時代を超えて変化をやめない存在をじっくり観察することは、
流行トレンドを追いかける専門家の論評を読むことよりも、よほど深い学びが得られるはずである。

昨日得た緑のエネルギーを種に、私は今日もパソコンに向かって閉ざされた空間で仕事に励む。
あの日本庭園がどのような人々によって作られたのだろうかと、どこか想起しながら。
JUGEMテーマ:日本庭園
社会 | 07:55 | comments(2) | - | - | - |
貧困環境にある子どもサポートは、無料塾でも、こども食堂でもどんなやり方でも良いと思う。
経済的に厳しい家庭環境に置かれている子どもたちは、
好奇心旺盛で多感な時期に、学校と自宅の往復では、
ちょっとした日頃のモヤモヤを溜め込んで、大きな重荷にしてしまいがち。
だからそんな子どもの側に寄り添って、
ちょっとでも愚痴を聞いてあげられる大人が地域にいる価値って、とても大きいもの。
大人にとっても、子どもが置かれている環境、流行っている遊び、
どんなことに悩んでいるのかを知るだけでも大きな気付きを得られる。

貧困に困る見ず知らずの子ども達なんて関係ない、
そうやって通り過ぎてしまわないで、一度だけ立ち止まって彼ら彼女らの声を聞いてみては?

そんなことを1年間無料塾でお手伝いして、中学生と共に勉強してきた私は感じている。

大人も子どもという年代に関わらず、
明日の暮らしを決して安閑としていられない経済環境に置かれていない人は多い。
しかし、大人は他者の手助けを得られる可能性が比較的高い。
知識も経験も行政サポートも存在する。
一方で、子どもは家族の庇護が十分でなく、学校でのコミュニケーションも上手く行かなければ、
1人で問題解決をはからざるを得ない。
それに向かうには、経験も知識も、そして周囲からのサポートも全く不十分である。
だからこそ、彼ら彼女らの「ヘルプ」に気が付いた大人は、
全く接点がなかったとしても、せめて話を聞いてあげたいもの。

1人で問題に立ち向かわなくても、
誰か何処かに助けてくれる人がいると子どもが知るだけで、どんなに心強いだろうか?
私が通う無料塾は、サポートする大人の数が、
やってくる子ども達に比べて決して豊富ではないので、
子ども達自身で勉強を教えあったり、
日常の悩みを相談しあったりする光景がいつも見られている。
もちろん大人がそれを傍目に見ながら、声をかけるのだけれど、
あくまでもスタンスは近所のおじさんおばさんレベル。
子ども達の自主性に基本は任せつつ、
このまま行くと人に迷惑を掛けるだろうという点だけ注意をするに留めている。

子どもの貧困が、日本全国で叫ばれるようになった要因は沢山存在するけれど、
これを放置して困る大きな結果は、はっきりしている。
子どもの貧困がそのまま大人の貧困に繋がり、さらなる子どもの貧困が再生産されるということだ。

無料塾に通う子ども達を見ていると、
本人達のポテンシャルを適度に支えられなかった周囲のサポート不足に気がつく。
片親で家計を支えることが精一杯のお母さんは、子どもの学習支援を行う余裕はなく、
日々の稼ぎを得ることに汲々とされている。
兄弟姉妹が多く、年齢が近い家族では、どうしても手を掛けられる子と、
掛けられない子との差が開いてしまい、片方は甘やかされ、片方は放置されたりする。

みんながそうはならないのは当たり前だが、
自分の親から十分な愛情を注がれる経験を持っていない親は、
子どもに十分な愛情を注ぐ術を知らないままに子育てをしているので、
子どもが求める事を理解できないまま振る舞うケースも多い。
加えて、そもそも日々の家計を支える仕事に手一杯で、
なかなかじっくりと子どもの悩みなどを聞いてあげられる時間がないので、
どうしても親子間で気持ちのズレが生じてしまう。

そんな日々に追われる親子を少しでも周囲の大人が支えられるのであれば、
貧困という二文字を暗いイメージに閉ざさずに、
社会に慣れる窓口としてチャンスと捉え直すことが出来るのではないか?

子どもを育てた経験もない私が、こんな主張をしたところで、
きれいごとに過ぎないと非難もあるだろう。
けれども、自分自身で体感して、人々に触れ合った経験から得られた価値観は、
やっていない人とは絶対に共有出来ない。

全国各地で、子どもを支援する取り組みは民間でも、公的なものでも少しずつ活発になってきた。
けれども、まだまだ手を差し伸べられていない子ども達は沢山存在している。

だからこそ、どんな形でも、子どもをサポートする取り組みが少しでも増えることを私は願ってやまない。
それが、遠回りのように見えて、実は一番近い社会を良くする動きだと信じているから。

JUGEMテーマ:ボランティア
社会 | 06:57 | comments(2) | - | - | - |
情報化時代を生きるための情報の漁り方。とにかく人が全てです。
日々、山のように情報が溢れているなかで、
自分が必要な情報をどこで入手してよいのか、悩む人も多いのではないだろうか?

新聞、テレビを見る人が減り、インターネットで情報入手する人が増えたけれども、
何となくスマホで流れているニュースを眺めている人も多いようだ。

私は、昨年途中まで新聞を購読していたが、朝目覚める時間が遅くなってしまい、
新聞を読めないようになってしまったので、購読をやめてしまった。
情報入手はインターネットと、書籍に依っているのが現状である。
もちろん対面する人からの生の声も大切にしているが。

さて、ネットで情報入手する人にとって、
自分が必要な情報を手っ取り着実に取得するにはどうしたら良いのだろうか?
私はネット上の様々なメディアにおいて、情報ソースに信頼を持てて、
語り口が馴染み、適当な頻度で時事ネタを解説しているという人に特化して情報収集を行っている。

例えばlivedoorのBLOGSならこの人航空ニュースならこの人、ITmedia鉄道コラムならこの人
日経オンラインのコラムならこの人、日経コンピュータの連載ならこの人、日経ビジネスのコラムならこの人
YAHOOニュースならこの人、NewsPicksならこの人のコメント、NewsDigのコラムならこの人、などなど、
そのメディアが強いジャンルでなおかつ、
ある特定分野の専門性を十分発揮しているプロフェッショナルの知見から
ニュース解説を得ることを中心に時事ネタを拾っている。

月に数冊の新刊本を読んでいる私は、物書きが独自の語り口を持って
言葉を編んでいることを知っているつもりである。
慣れない人の本を読むのは、その表現に馴れることだけでも苦労するものであるし、
慣れた人であれば、ここが大切なポイントだと見つけるのも容易になる。
私が、本読みに嵌ったきっかけは、司馬遼太郎の歴史小説とエッセイ読みだったこともあり、
独自の語り口に慣れたことも大いに影響しているのだろう。

水先案内人という言葉を知らない人も多いだろうが、
狭い湾岸であり1日に何度も潮流を変える関門海峡を通過する船は、
そのプロフェッショナルをナビゲーターにすることが義務付けられている。

数多に溢れる情報の海を渡るにも、
的確なナビゲーションを行ってくれるオピニオンリーダーが必要不可欠なのではないか?

このことは、インターネットの世界に限らない。
リアルな世界でも、地域情報にアンテナ鋭い人は必ずいるもので、
その人の知己を得るか得ないかでは、世渡りに大きな差が生まれる。

私は、その前から興味関心を持ちつつ、2000年頃からインターネットに触れているために、
検索キーワードを見出す能力に他者よりも秀でているつもりである。
インターネットに漂う情報を取得するためには、自身が必要としているキーワードを的確に使い、
主体的に情報を探していく術が求められる。
しかし、私を含めて大半の人々は自分でそのアンテナを伸ばしていくことは困難なので、
その道のプロにアンテナを委ねて、そこから電波を得る程度が上手い情報の拾い方なのだろう。

インターネット上であれ、リアル社会であれ、情報を取得するには、
まず人間に興味を持って、自分が気に入る人を探し出すこと。
これこそが、情報収集の第一テーマであるのだ。
もちろん、それをいきなり探し出すのは難しく、当初はいろんなサイトをみたり、
他者の評価をみたり、知人の意見を聞く必要もあるだろう。
ただし、基本的には、自分自身の力で、ウマが合う人を見出そうと努力することしか、
程よい情報収集アンテナを見つける方法はない。

一旦この人と決めたら、他者の評価を気にすることなく、その人が流す意見を全面的に受け止めてみよう。
その後に、やっぱり、この人のここは理解できるが、ここは納得できないと、
少しずつ自分なりの評価基準を明らかにしていこう。
そうすれば、自らが設定したオピニオンリーダーの意見に左右することなく、自分自身のアンテナが形作られていく。
アンテナが一定の高さになったときに、オピニオンリーダーの庇護を外れ、
自分自身が意見を発信していく立場に変わってみる。
そうすれば、情報がひとりでに他者から集まってくるものである。
望むもの、望まざるものをどちらともだが。

インターネットは、信用ならない。
そんなレッテル張りを行って、情報収集経路をシャットダウンする人には、誰も情報をもたらさなくなる。
まずは、いろんな人々の意見を聞いてみよう、そんな虚心坦懐な気持ちで、
1つ1つの情報ソースに当たってほしい。
あくまでも自分自身がこの人だと考える人をきっかけにしながら。。。

世の中に流れる情報の殆どは、誰か1人の人物が発信した信号なのだ。
その人の真意を知りたいと思っていさえすれば、
情報の裏にある大きな社会の変化を拾うことができるはずだ。

ちょっと前、みんなの意見は案外正しいというタイトルの本が流行った。
みんなの意見に留まらず、そのみんなの意見の元になっている個人の意見を知ろうと努力してほしい。
それこそが、私という人間がどうして、この世に存在しているかを知ろうとする旅の第一歩なのだから。

JUGEMテーマ:ニュース
社会 | 00:37 | comments(2) | - | - | - |
下流老人にならないための7か条
生活困窮者支援NPO法人「ほっとプラス」の代表理事 藤田さんは
貧困高齢者を『下流老人』と名付けました。
普通に暮らすことができず下流の生活を強いられる老人という意味で、
日本社会の実情を伝える造語で、昨年この言葉が一気に拡がりました。
http://dot.asahi.com/wa/2015062400089.html

年始に波佐見で、60代の方と会話していても、このキーワードが頻繁に飛び交い、
どうしたら下流老人にならないで済むかと危惧する人々は相当数に及ぶのでしょう。

私なりの楽観的な考えで、下流老人にならない方法を、
1月7日、七草粥の日に因んで、7つピックアップしてみます。
前提として、これから増えてくるであろう一人暮らしの高齢者を念頭に考えてみました。

1.下流老人という言葉を気にしないで日々を生きる。
まず、当たり前ですが暗い言葉に振り回されないことです。
「病は気から」と言います。もちろんながら現象としては、
下流老人であったとしても、それを意識しないこと。これが下流老人を脱する第一歩です。
つまりは、言葉を気にしないようで、逆に世間の目を意識するということが大切になってきます。

2.毎週1回は会話できる友人を作る。(出来れば歳下)
1人で塞ぎこんで自宅に籠もることが、貧困化が悪化する最大の理由だと感じています。
とにかく外に出るためには、会話ができる知人がいることが重要な要素です。
家に居て、SNSで他人と接しても、行動が少なくなれば、
身体への刺激が少なく、どうしても脳の活動は衰えます。
面と向かっての会話を繰り返すことは、一番の痴呆防止にも繋がりますし、元気の源になります。
逆に言えば、友達が沢山いる人は、自然と他者の批判を慎み、
他者への温かい心配りができるようになります。
この心配りこそ、下流老人から一線を画すために、一番大切なことです。
見返りのない心からこそ、御恵みが回り回って戻ってくるものです。

3.行政や公的機関に1年に一度は顔を出す。
なかなか公の機関に足を運ぶ機会は、一般の人には少ないのが当然でしょう。
ましてや、その決定を司る議員さんや首長さんなどとの関わりを持っている人は、
全国民でも少数派と言えます。
しかし、自らがお金を稼ぐことが難しい高齢者にとって、
どんな場面でもお世話にならざるを得ないのが、公的機関です。
だからこそ、どんな場面で、どんな手続きが必要なのか、
最低限それを聞き出すためにも、窓口を知っておく必要があります。
特別な用事がなくても、お役所に行くことを苦にしないで、公的機関の職員さんに挨拶をしましょう。
先方にとっても、あなたという人物が存在している実態を示すと
関心を持ってもらえますので、いざという時に気にしてくれる人が圧倒的に増加します。

4.出来る限り自分で食べる食糧は自分で作る。
下流老人に含まれる定義は多々あるようですが、
得られる収入でご飯を食べていく余裕がないというのが大きな問題です。
であるならば、生活を維持できるだけの食材を自分の手で作れば、
得られる現金が少なくても暮らしていくことができます。
お米を作る、野菜を作る、果物を作る。
生活している場所によっても、何を作るかは向き不向きがありましょう。

ただし、自分が欲しいものを作ってさえ言えれば、
余剰があれば他者が生産されたものと物々交換出来るはずで、不足する食べ物を補うことが出来ます。
作る場所がないからと嘆いている方は、
自宅の近くで手付かずになっている耕作放棄地の持ち主を捜してみて下さい。
農林水産省も耕作放棄地対策には頭を痛めていて、
新しくその土地を耕そうとする人々には補助金が与えられることもあります。
http://www.maff.go.jp/j/nousin/tikei/houkiti/pdf/2712_genjo.pdf

出来ないと嘆く前に、まずは出来そうなことをやってみる、これが下流老人にならない一番の肝なのです。

5.僅かでも現金収入が得られる仕事に従事しておく。
支出を抑える努力を積み重ねたとしても、どうしても現金収入が必要だなあと行き当たる場面には出くわします。
この時に大切なことは、自分自身で、現金を稼ぐ術を何歳になっても保持し続けることです。
取り立てて資格がなくても身体が丈夫であれば、
臨時雇いを必要とする生産者から雇用の声掛けがあるかもしれません。
過去に何らかの先生であった方は、
その教えを必要とする若い人々が出会っていない何処かに存在するかもしれません。
長い時間勤め人であった人々でも、長期間に渡って1つの仕事に従事していれば、
何処かプロとしての要素をお持ちのはずです。
こんな時代だからこそお払い箱とされた人々が集えば、
案外今の世の中に存在していないサービスが生まれるかもしれません。

何度も繰り返しますが、
チャレンジをやってみる前に出来ないと考え込んでやらないと、下流老人の道まっしぐらです。
とにかくお金にしてみるんだ、強い意志をもって、何かに取り組んでみましょう。
何が向いているのか分からないなら、私にコメント下さい。面談しようではないですか。

6.本を月に1冊は必ず読む
歳を重ねれば重ねるほど、他からの情報入手をすることが億劫になります。
目が見えない、耳が聞こえない、大きな声で話せない、
新聞を取るのはお金がかかり、テレビ番組も何を話しているのか分からない。
確かに、高齢者にとって社会の情報を仕入れることは非常に骨の折れる作業でしょう。

だからこそ、社会的知識を収集するための術として、本にアクセスしてみて下さい。
フィクションでも、ノンフィクションでも、新刊でも、古典でも、ジャンルも何でも構いません。
重要なことは、何歳になっても活字に触れようとする意識です。
本を通して新しい知識を頭に取り入れると、社会に対して必ず関心が生まれてきます。
つまり、インターネットを使うことに例えると、検索できるキーワードが増えるのです。

知識が増えると必ず、その知識を誰かに伝えたいという意欲が生まれてきます。
これが、社会との接点を増やすことに繋がるのです。
本をいつも読んでいる高齢者がいるという事実だけで、
若い人々からも一目置かれる存在になること請け合いです。

嘘だと思うなら、3年間試してみて下さい(笑)

7.家族を増やす(既にいる方は家族と密に連絡を取り合う)
何をおっしゃる35歳の若造くん。今から家族は増やせないよ。
そう思った貴方が社会の大半だからこそ、最後の条文にこんな無理難題を加えてみました。
人間は生まれながらにして、誰かと交流したい欲望を持った社会的動物なのです。

昔とは異なり、夫婦の形も様々ですし、全く会話しない家族が増えているのも事実です。
住居もすべての構成員が顔を会わせることなく生活を営める一人一人のスペースが中心になりました。
つまり、1人で暮らしても、2人以上で暮らしても、
他者と考え方を完全に合わせることなく1つ屋根の下で暮らせる仕組みは増えています。
また、日本の社会保障制度は大きく変化しつつあるといえど、
基本的に家族間扶養を基本にしていて、
家族で支えあって年老いて下さいという考え方で制度設計されています。
ちなみに、私の両親は17年前に離婚し別居していますが、
未だに時折食事を共にし、子供の引越しなど人手が必要な際には共同作業を行っています。

男であれ、女であれ、それぞれが出来ない仕事は沢山あり、
支えあれば軽減できる負荷も沢山あります。
何歳になってもチャーミーグリーンのCM(ちと古い)のように仲良しとはいかないまでも、
夫婦関係を築くことも、血が繋がらずとも親子関係を築くことも出来ない課題ではないと私は感じています。

長年連絡を取り合わなかった家族や親戚がいらっしゃる方は、是非ハガキの一枚でも送ってみて下さい。
貴方が思っている以上に先方はその便りを待っているかもしれません。
あるいは待っていなかったとしても、その便りを書けたという自分自身に勇気が生まれてきます。
これまでやれなかったことが出来たと。


長々とお付き合いいただいた下流老人にならない術は、
結局のところ、日々を有意義に生きる術ということです。
毎日が楽しければ、将来を悲観的に考える必要もありません。
今日はとても面白かったから、明日はもっと面白くしよう。
そう思いながら年老いていく先輩を私は尊敬しますし、
そんな先輩方と沢山出会いたいと心から思っています。


適当なことを言うどこの馬の骨かわからない君の暴論は不安でならないと
仰るインテリーの皆様は、ライフネット生命という生命保険会社会長の
以下の年金不安に煽られないためにという記事を参照ください。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/237025/082700002/
(会員登録は無料でできます。)
JUGEMテーマ:高齢者の日常生活
社会 | 08:47 | comments(2) | - | - | - |
子どもの貧困というけれど、貧しいのは大人の優しさなのでは?
って、タイトルでいきなり問題提起してみました。

私は、このブログにも何度も書いている通り、
東京都中野区で無料塾のお手伝いをしています。
通い始めて、まもなく一年になりますが、沢山の中学生と接してきました。
みんな家庭の経済状況は決して恵まれている子供達ではないのですが、
そんなことは、沢山の時間を共に過ごしていたらどうでも良くなってきます。

学習をする場所である塾なので、
一生懸命勉強に励もうとする子はとっても可愛く感じますし、
あまり勉強に取り組まずお喋りに夢中な子には気分は良くありません。
ただし、この塾に集まってくる子の大半は、
塾に通うまでに勉強方法を身に付けていない子供達なので、
塾に来てしばらくは勉強方法が分からずに戸惑うことが普通です。

だから、お手伝いをしている大人のサポーターさんは、
そういった子どもがどうやったら勉強にはまってくれるか、
あの手この手を考えて、少しずつ実践しています。

少しでも反応がよいサポーターがマンツーマンで対応してみる。
話が弾む同学年の同性の子を隣同士にして授業をやる。
苦手な教科を克服するために、最適な問題集一冊をじっくり取り組む。
同級生に単語カードを渡して、英単語を書くことを楽しませる。
理科の基礎を解説するために、大学院生のサポーターが今使われている技術と教科書の橋渡し役になる。
学校を出た後にサポーターはどんな仕事についているのかを説明してみる。
諸事情で自宅学習の進まない受験生をファミレスに誘って勉強する場を作り出す。
親御さんを誘って参加者全員でバーベキューをやる。
夏休みには中1から卒業生を含めてキャンプに出かける。

確かに、これらのことを一人一人の親子関係で
満足をやっていこうとすると相当なコストと負担が掛かるでしょう。

だからこそ無料塾では、時間を出す人、お金を出す人、場所を提供する人、学習方法をアドバイスする人、
様々な大人の人々が、自らの出来ることを持ち寄って総力戦で子供達に接して、
子どもの学習環境を少しでも向上させるにはどうすれば良いかと知恵を絞っています。

塾に通い出した当初は、あまり親子間で会話が無かった家族でも、
勉強という目的を共有することで、少しずつ絆が深まり出した例も沢山あります。
子どもに対して相談相手がいなかったお母さんが、
塾のサポーターから子どもの得意分野を見出だされたことも。

逆にサポーター側にとっても、子どもに頼られたり、
サポーター同士で仕事について相談しあったり、様々な関係性を塾を通して得ています。

子どもの貧困をどうするかというマクロの視点で議論されると大抵は経済支援に話が注目しがちですが、
私が子どもと接してきて痛感しているのは、
子供達は圧倒的に話し相手を求めているという事実です。
親であれ、同じ生徒であれ、赤の他人の大人であれ、
自分のことを理解しようとしてくれる他者が存在するという安心感が、
子どもを貧しくさせない最も大切なポイントなのではないでしょうか。

そのために必要なことは、お金よりもまず、子どもを気にする大人の目線なのです。
赤ちゃんを見て可愛いなと思うような純粋な気持ちで、
血が繋がっていてもいなくても、
社会の子どもを見守る視線がある大人が増えれば、
時間が掛かっても、貧困に悩み、社会に不適格とされる子供の数は減っていくはずです。

千里の道も一歩から。
まずは、気になる子どもに一声掛けられるそんな大人になりたいと日々思っています。

JUGEMテーマ:人間関係
社会 | 20:16 | comments(2) | - | - | - |
高齢者地方移住の前に、都市と地方の交流促進が必要不可欠!
日本創成会議が発表した「東京圏高齢化危機回避戦略」によって、
首都圏高齢者の地方移住について賛否いろいろな議論が巻き起こりつつある。

福岡県の片田舎出身で東京に働く身として、賛否どちらの意見にも理解できる点はある。

地方からすれば、犁泙帽睥霄圓増えても社会保障負担は増えるだけだ瓠
都市部からすれば、犁泙房匆馘インフラの乏しい田舎に転居したいと思う人間は限られる瓠
地方にとってのメリットは、労働力が減少するなかで、
人材や社会的インフラを維持するために、人々を呼ぶことで仕事を作り出すことができる。
都市部にとってのメリットは、対応しきれなくなる介護医療の人的負担を軽減することで、
住民の人的・財政的負担を減らすことができる。

その他、都市部と地方部における一つ一つの社会的事象を紐解いていけば、
課題は山積し、メリットも多く存在するだろう。

しかしここで、私は思うのだ。
その課題を作り出している一人一人の人間の気持ちが、
この議論に加えられていないのではないかと。

東日本大震災と東京電力福島第一原発事故により、
地震から四年が過ぎた今でも21万人以上の人々が避難を余儀なくされている。
このこと一つを例に取るまでもなく、
人々が一旦住み着いた土地を離れることはなかなか容易なことではない。

もちろん社会的インフラの多寡や、仕事の有無、経済状態など
数値化できることで、移住を決める人も沢山いるだろう。
しかしながら、親類や知人友人、周囲との関係性、自然環境など
数値化出来ない部分で移住を躊躇う人々も多々存在するのが現実である。

だからこそ、東京からの高齢者移住を本格的に進めるに当たっては、
都市部の住民、地方部の住民、
それぞれが胸襟を開いてお互いに紹介し合う場所を作らない限り、
日本創成会議や政府が進める政策は画餅に帰するだけとなろう。

どんな人がやってこようとしているのか、どんな人が受け入れようとしているのか、
それを都市部の人、地方部の人、それぞれが自分の感覚で理解出来た後に、
暮らしていくための環境がどんなものであるのかを意識して、
居住を決めていくのが自然の流れなのではなかろうか。

高度経済成長に金の卵と呼ばれて、
列車に詰め込まれて都会に追いやられた田舎の若者はもはや歴史の上にしか存在しない。
それこそ賛否あるが、
主権在民・基本的人権の尊重をその趣旨とする
日本国憲法が制定されて約70年が経過して、
一人一人の国民が自らで生き方を決めているのが現代日本なのだ。

その立場に立って、この国の将来をどうしていこうという視座を持ちながら、
高齢者の地方移住を進めようとしない限り、この取り組みは絶対に上手くいかない。

その根底に必要な思想は、「人間尊重」ただそれだけなのだ。
そこを今一度理解してもらうために、私は、長崎県の波佐見にて
人間再生戯塾」と言う名の、地方移住お試しプログラムを始める。
 必ず面白くなる、いや面白くする。
興味がある方は、是非一声かけていただきたい。

JUGEMテーマ:政治全般〜国会・内閣・行政
社会 | 08:59 | comments(2) | - | - | - |

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