黒木町日記

実家のある福岡県の黒木町。2010年2月1日をもって、
八女市に吸収され、名前も聞く機会もめっきり減りました。
ちなみに、管理人は東京都暮らしを経て長崎県在住です。
<< September 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
 
ARCHIVES
RECENT COMMENT
  • 飲み屋のお姐さんに嫌われない方法〜嫌われる7つの振る舞いを避けよう〜
    光 (09/15)
  • 若者よ、失敗を恐るな。
    光 (07/06)
  • 新しいことをやる人々は、周りにエネルギーを与えてくれる。
    光 (06/25)
  • 新しいことをやる人々は、周りにエネルギーを与えてくれる。
    深沢清 (06/25)
  • ホンダジェット 開発リーダーが語る30年の全奇跡 前間孝則著 読了。
    光 (06/03)
  • ホンダジェット 開発リーダーが語る30年の全奇跡 前間孝則著 読了。
    深沢清 (06/03)
  • 農協は地域でなにができるか -大分大山町農協の実践- 矢幡治美 著 読了
    光 (05/05)
  • 農協は地域でなにができるか -大分大山町農協の実践- 矢幡治美 著 読了
    深沢清 (05/05)
  • 人物戦後政治 〜私の出会った政治家たち〜 石川真澄著読了。
    光 (04/18)
  • 人物戦後政治 〜私の出会った政治家たち〜 石川真澄著読了。
    深沢清 (04/18)
にほんブログ村参加してます。
MOBILE
qrcode
PROFILE
無料ブログ作成サービス JUGEM
 
近距離も遠距離も、必要なことは心の距離を近づけること
風船ソード

先週は、長崎県の波佐見にて半分を過ごし、その場所で語らいあった人々から手紙・封書をいただいた。
今週は、仕事で職場の人やお客さま、そして週末は東京に暮らす知人と時間を共にしている。

いろんな土地を行き来していて改めて感じていることは、どれだけ物理的に近くても、
遠くても、気持ちが通じていなければ、本当の会話は出来ないということだ。

私のこんなブログにもブームに相まってか、社会現象なのか分からないが、
地方での暮らし方を模索する人が訪れていただいている。

私は田舎の出身で、東京に上ってきた人間で、やはり田舎の方が居心地良く感じるのだけど、
東京にもしっかりと息抜きできる場所は確保しているつもりである。
そして、それなりに本音を語らい会える人々も存在している。

都会でも田舎でも、生きにくいと感じる人は存在していて、
場所を変えたらからといって片付かない問題も多い。
田舎は、プライベートに土足で踏み込んできて近過ぎる人間関係が嫌だといって、
都会に戻るIターン、Uターンの人々も多数いる。

結局のところ、どんな場所で生活しようとも、
自らが求めたい暮らし方を実現できなければ生き辛いのは避けようがない。

そこで大切なことは、どんな場所にいようとも、
気軽にフランクに会話ができる友達を作ることに他ならないのではないか。

都市にいても友達を作れるし、田舎でも友達が必要なことは言うまでもない。
ただし、友達というのは、同学年でも、年下でも、年上でも構わなくて、
本音がいい合える仲であれば何でもよい。
行きつけの飲み屋の店長でも、キャバクラのネエちゃんでも、
名前も知らない出くわすホームレスでも何でも。

人間は自分の想いを聞いてくれる人がいることで、初めて安寧を得られる生き物なのだ。
現代はもとより、歴史時代、そして人間として知性を得たその瞬間から。

人間は関わりあって生きるのが、その本質である以上、
どんな手段を用いようとも、友達作りこそが至上命題と言える。

その手段として生計を立てる労働があり、確固とした話し相手を維持する家族があり、
友達作りの手段として様々な遊びが存在する。

社会的に生きにくくなってしまった人の大半は、
好き勝手にしゃべられる友達がいなくなった人々である。
家族でも、恋人でも、同僚でも、赤の他人の居酒屋のお客さんでも良いけど、
とにかく自分の身の上を明かせる人を持つこと。
これこそが生きる辛さを少しでも軽減させる術なのではないだろうか。

このブログを読んでいるか、読んでいないのかは分からないけれども、
私の妹もそんな友達をなくしているみたいだ。

その意味で私は本当に恵まれていて、生活している東京にも、
それ以外の波佐見にも、沢山の本音を語り合えるお友達が存在する。

友達100人できるかな、なんて誇大な目標を持つ必要はない。
まずは、1人でも2人でも、なんの見返りもなく、語り合える友達を作ろう。
それこそが、生きにくいと社会を何となくでも、楽しく生きていく一番の術なのだから。
 
人間学 | 00:53 | comments(0) | - | - | - |
呑む、そして話す。悩むのは一人で、動くのはみんなと。
大人になって沢山飲むようになりました。
もっとも時効だから言いますが、未成年時代にも祖父に勧められてビールを多少嗜んではいましたが。

人は何故お酒を飲むのでしょう。
いろんな理由があるでしょう。
忘れてしまいたいことがあったり。
素面では言いにくいことのセーブを外すためだったり。
他人と会話をするきっかけだったり。

私は、みんな当てはまりますが、
基本的に、他者が存在する場所でしか基本飲みません。
一人で飲んでも寂しいだけですし。

昨夜は、日本酒酒場で三人で飲んで、
BARで一人で飲んで、
居酒屋で五人で飲んでいました。所謂梯子酒。
BAR
めちゃくちゃ飲んでいる訳ではありませんで、
三軒も続けて出掛けたのは、本当に久しぶりです。
途中のBAR以外はお誘いを受けたわけで、
こうやってお誘いを受けることがとても幸せなことだと思います。

20歳を過ぎて、何度もお酒による失敗を繰り返しました。
しかし、お酒によって自らが持っている本性をさらけ出し、心から言葉を発し、行動の基点に出来たという意味では、良かったことも限りがないほど沢山です。

私は、そこそこ呑む経験を繰り返したので、お酒の席で発した言葉に責任を持てない人をあまり信用できません。
逆に言えば、お酒の席で発した何気ない言葉をきっかけに、行動を大きく変えた人には非常に尊敬を覚えます。


私は、昨年くらいまでいろいろなものをセーブしてきた自分を薄々感じていましたが、
今年は自らが楽しいと思えることには、嘘偽りなくどんどん貪欲に取り組みたいと思っています。
お酒を飲んだ場所で、瓢箪から駒的にいろんな動きが始まったりします。
もちろん、大きなことは熟考の末に拳を上げるべきで何もかも酒場談義で行動を始めてよい訳がありません。

ただし、いつでもいろんな人々との会話の瞬間に次の行動を決めていける人間にならなければ、人生で大きなチャンスを逃してしまいます。

成功の女神には前髪しかないという言葉を引き合いに出すまでもなく、物事を逡巡している間に一生は終わってしまいます。

普段は一人でじっくり世の中を考える。
他者と接するときには、即断即決でどんどん動いていく。
そんなバランスを保った人間でありたいものです。


飲み明かして、冷静になったつもりの頭でグタグタと綴ってみました。
人間学 | 17:28 | comments(2) | - | - | - |
心地よい人間関係の作り方(縁游義塾に参加して雑感)

この土日、名古屋にて縁游義塾に参加してきました。

この塾は波佐見の深澤塾長、名古屋の窪島校長、山田先輩がメンバーである

「人間とは何か?」を探求していく交流の場所です。

今回も、土曜日には前回の名古屋での開催時同様に、山田兄さん、窪島姉さん、

深澤さんのお知り合いの方とともに、少し歴史についての勉強をやったのちに、

語らいあいの飲み会が開かれました。

日曜日には、伊勢神宮に参拝したのちに、二見興玉神社の夫婦岩を拝みに行きました。

私がいつも名古屋に出向くたびに感銘を受けるのは、

深澤さん、窪島さん、山田さん皆さんが、二十年来のお知り合いの方の

近況を情報交換しながら、その方々のことを気遣いされていることです。

人間関係は、浅すぎるとあまりその人のことが見えませんので、

心の通った付き合い方ができません。

一方で、深くなりすぎると様々な面で弊害も生じてきます。

だからこそ、相手が助けを必要とするときにはそっとサポートし、

それ以外のときには、そっと見守る程度が最良なのだろうと思うのです。

25年近くにわたって、その良質な人間関係を育まれている

私以外の縁游義塾の先輩方は、その点を極々自然に振る舞われていて、

人生経験の乏しい私は、いつもながらスゴイなあと心で呟いています。

人と人は関わりあって生きるというのが、縁游義塾が人間について

学んでいく一番肝になっている要素です。

それを実際の生身の人々との付き合い方を通して教えてもらう機会は、

私にとって本当に素晴らしい学びの場になっています。

昨日あった古くからの友達でも、10年以上ぶりに再会した方でも、

同じように胸襟を開いて語らいあうことはなかなか困難だと思います。

けれども、それは決して出来ないことではありません。

必要なことは、その場で相手が発する言葉を、行動を、

ただ受け止めようとする姿勢を持つかだけなのです。

人間誰しも、その人から湧き出てくる想いを受け止める人を探しています。

社会を引っ張る価値観が経済優先になればなるほど、

その当たり前のことに気がつかずに、自分の意見を主張することに、

一生懸命になりすぎるあまりに、相手を受け入れようとできなくなっている人が、

非常に多いように感じます。

それこそが、さらに社会を生きにくい状態に導いていくのでしょう。

だからこそ、「最近どうしているの?」そう問いかけてあげて、

心の中に思っている気持ちを引き出してあげる、

そんなちょっとしたことで、自然に心地よい人間関係は形成されるのです。

私は全くもってそれができていません。

だからこそ、3人の人生の先輩が自然に行われている振る舞いから、

その情緒感を奪おうと、名古屋に出向くことを楽しみにしています。

名古屋は、東京とは違って、相手を慮る土壌がまだまだ残っています。

他者に気遣いをしなくなった東京の生活感とは明らかに違う空気があります。

この空気感こそ、その地域の底力の源になるはずなのです。

地方創生を行うもっとも大切なことは、

心地よい人間関係を築きやすい風土を作ること、これに掛かっています。

今回の縁游義塾でも沢山の人々と出会いがありました。

それをまた新しい人間関係に生かせるように、

相手のことを慮る振る舞いを自分に課していきます。

よい6月のスタートが切れそうな気がします。

二見興玉神社で引いたおみくじも大吉でした(笑)
 

JUGEMテーマ:人間関係
人間学 | 00:24 | comments(4) | - | - | - |
手紙を書く、気持ちを伝える。
私は今週月曜日、そして今日、手紙とハガキのお返事を書いた。

もちろんどちらも手書きである。最近は漢字も思い出さなくなり、
携帯で調べることがちらほらで、情けない限りである。
 
最近はEメール、LINE、Facebookなどインターネットが便利になり、
スマートフォンはほぼ常時オンラインになっているため、
時間を選ばず相手とコミュニケーションできる術が手元にある。

その一方でコメニュニケーションのIT化が進めばすすむほど、
一つ一つの表現に考える時間が減る傾向があり、
相手の気持ちをじっくりと考えて、
リアクションを返す機会が減っているような気もしている。

私は、中学生時代は毎週のように遠地に住んでいる文通相手と
手紙のやり取りをしていたこともあり、拙い文章を全く気にせずに、
手紙やハガキを出すことには何の負荷にも感じずに思ったままを文にする。
(本当にミミズが這うような汚い字であるにも関わらず。)

一昨年の年賀状では、100枚以上の年賀状を表裏ともに、
すべて手書きで書いてみたりもした。
(翌年には時間がなくて、続けることができなかったけれども)

手書きの文字を書くことは、社会的に少なくなったこともあり、
相手からのリアクション率は極めて高く、お返事をいただかなくても、
気を留めていただくことは極めて多いのが事実である。

SNSなどでコミュニケーションを図っていたとしても、
なかなか感情を表に出して、他人に伝えることは難しい。

しかしながら、手紙を書くと、その文面や文字に自然に感情が乗っかるため、
意図しても意図しなくても、相手に気持ちを伝えることができる。
それが手書きの文章を書くことの最大の魅力と言えるかもしれない。

もちろん手間ではある。時代遅れかもしれない。
ただし、その人となりを理解するために、これほど的確なものも存在しないように思う。

文字を見て、表現を見て、その人の偽りない気持ちを読み解く訓練を、
手紙やハガキのやり取りをすることによって自然にやっているのである。

人間のことを知りたいと思うのならば、面と向かってお話をすべきである。
さらにその人の内面を知りたいと思うのならば、面倒でも手紙をやりとりしてみるべきである。
その文字で、表現で、必ずその人の人格が滲み出てくるはずだから。

私は、ここ最近手紙のやり取りをかまけていたが、
相手を思いやる気持ちがこもった手紙やハガキをいただくことで、
定期的に自分の手で文字を書くことの重要性を再認識した。

まもなく暑中見舞い、かもめーるが発売される時期になる。

そして、来月は父の日である。高価なプレゼントも大切かもしれないが、
気持ちの入った子供からの一通のハガキの力は、とても大きいのではないだろうか。
特に、日頃厳しかったり、威厳のあるお父さんにこそ、忙しくても一筆認めてみてほしい。
 
手紙
JUGEMテーマ:手紙(葉書、年賀状、絵手紙、暑中見舞い、寒中見舞い)
人間学 | 00:49 | comments(0) | - | - | - |
資本社会と人間社会の分断。
東京で働いている私はここ三年、結構頻繁に波佐見を訪れるようになった。
その心は何か?これまで答えが見つからなかった。
しかし、一昨日波佐見の方とインターネット社会について会話をしているときに気が付いた。

東京は資本社会、波佐見は人間社会だからだ。
もちろんそれで全てを割り切れるわけではない。
ただし、その考え方で動いているからこそ、
私自身がどちらで生きることも割りきって受け止められるのだろう。

東京は仕事をするために最適化されている都会であり、様々な人間行動を金銭で測られる。
波佐見では人間同士の会話が主体であり、
様々な人間の行為を行為によって返すという非金銭的な営みがなされている。

もちろんながら、非金銭的な営みは、波佐見より更に過疎化した地方で顕著だが、
その土地では部外者が入り込む隙がない。
波佐見の土地は、古くから土地以外の人々と交流を行うことによって
生計を立てて来た場所であるので、私のような部外者が参入しても受け入れられる隙がある。

一昨日気がつかされた波佐見の人との会話は、
インターネットを使って仕事の内容が質的に変わってしまったということがテーマだった。
そのネットを流れる情報の大半が東京を起点にしている資本社会の中で、
これまで人間社会であった地域は軒並み存亡の危機に立たされているのはある意味当然である。

何故ならば生活の糧を、東京からのお恵みによってしか暮らせない状態を
高度経済成長期から続けてきて、もはやそれ以外の術をなくしてしまったのだ。

自らの食料は自らで作り、大した贅沢をせず平屋に住み、
結婚式は公民館、葬式は自宅や周辺の分限者の家で行う。
そんな数百年続いてきた日本的な暮らしは、コンビニとスーパー、
建売住宅や各種ローンの普及により完全に過去のものとなった。

だから東京に限らず、日本各地多くの地域で、
生活様式はさほど変わらないライフスタイルを送り、
多くの人々がユニクロのファストファションに身を包む。

そんな時代に、東京は次から次に情報を得て、
新しい何かを発信することでお金を得るビジネスをやり続ける。
それ以外の地域は、情報ではなく、何かモノを生み出すことが身の回りにあるので、
情報だけをお金に変えるという価値観が理解できない。

だからライフスタイルが全国統一されても、
お金を得る手段が全く分かれてしまったので、そこを理解できない人は、
資本の狭間で自らで命を落としもする。

資本を得る方法が変わってしまったとしても、人間が死なない方法は、
ずっと変わっておらず、衣食住を満たせば良いのである。
この原則を理解した上で、資本の稼ぎ方を東京に学び、人間としての生き方を田舎に学ぶ。


これが現代人のスマートな過ごし方なのではなかろうか。
私は、どちらも不十分だからこそ、今東京と波佐見を頻繁に行き来しているのだ。
そんなことに気がつかされたのが、波佐見の人々との会話であったということが大変重要である。
東京にいるだけでは絶対に気が付かない。

2015年はこの気付きを胸に、資本と人間、そのいずれもこれより深く考えてみたい。
そこで見直すべきは、日本人の思想形成に深く関わっている神道である。
この追求も合わせて行っていく。
JUGEMテーマ:人間関係
人間学 | 08:32 | comments(2) | - | - | - |
社会を知る一番の術は、人と会話すること。
この休みは、山に登り、読書し、映画を観て過ごした。
典型的な秋の週末の過ごし方だ。
読書以外は他人からのお誘いを受けたものだが、読んでいた本でさえも、
他人のFacebookに書かれていたオススメ本である。

人々の生きる社会に関心を持つ私だが、最近は積極的に動くことよりも、
他者の発するメッセージを受けて行動することの方が多い。
しかしながら、そのメッセージをどのように受けて、
どのように反応するかを決断しているのは、自分自身の意思に他ならない。

社会を知るためには、本を読んだり、新聞を読んだり、テレビを見たり、
インターネットを駆使したり、方法は様々である。
しかしながら言えることは、自分だけで情報を探すためのキーワードは、
自分が過去に聞いたフレーズを超えるものは見いだせない。

他者と関わることは、自分が知らなかった世界観を捉えるために
非常に意義があることであり、多くの検索キーワードを与えてくれる。
取り分け、会話をすることによって、様々な相手の価値観を引き出すことができるので、
いつも接していない人々との会話は自らの辞書を拡張するような効果を与えてくれる。

人が生きていくには、常に誰かと関わり合いを持ち続けなければならない。
高倉健さんが演じた数々の映画主人公も、あまり社会的に器用ではない人物だったが、
他者と関わることによって、人間の機微に触れ、その真心にお礼返しをすることで、
彼を取り巻く社会に一定の意味を遺していった。
高倉健さんが、亡くなってから、これだけ多くの日本人が彼を悼むのは、
そんな不器用な一人一人の主人公に、
どこか自分自身を重ねた経験があったからではないのだろうか。

社会を知るというのは、畢竟人間を知るということである。
人間の本質を知るには、結局一人でも多くの人間の声を聞き取るほかに術はない。
映画でも本でも、飲み会でも、趣味の遊びの場所でも、もっと人間を知りたいと願っていると、
必ず相手が近づいてくれる。
そんな気持ちを持って日々を過ごすこと、これはなかなか難しいのだけれども、
非常に有意義なことだと私は思っている。

以上、仕事初めの祝日明けの長い決意表明でした。
人間学 | 08:44 | comments(2) | - | - | - |
決め切れない人は損をする
今この場所が戦場であるとする。
こちらはゲリラ隊で、敵が四方八方から銃弾を浴びせてくる。
右に逃げようか、左に逃げようか、頭を出して偵察している兵隊は、
相手に見つかり撃ち落とされるのは時間の問題である。
しかし窪地の中で、覚悟を決めて、手持ちの飯ごうで、
地面に穴をせっせと掘って身を隠せば餓死する可能性もあるが、
相手に気が付かれず戦乱を乗り越える可能性もある。

別に今の日本は戦争中でもないし、人間は動物でもないので、
そんなことを考えても無駄だと言う人は言えばよい。
私は、自らの決断を信じない人が嫌いだ。
今自分が暮らしている場所が戦地でなかったとしても、
銃弾が飛び交わなかったとしても、周囲全員が敵になる可能性は常にある。
予期せぬ犯罪に巻き込まれ、冤罪でも一旦容疑者、被疑者として扱われると、
社会的地位は一気に急降下し、寄り付く人もいなくなる。
IT化が進みスピードが早くなった社会は、一つ一つの携帯操作だけでも、
実際に物が動いていく仕組みが作られている。
もちろんそこには人間が介在するケースもあるが、
あくまでも決定権者の方針が最優先なのである。

例えばAmazonで一旦注文した本を変更する作業を順を追ってみたい。
ホームページからお急ぎ便を指定して本を注文する。
在庫があれば、数時間で物流拠点から出荷され、当日中には指定の住所に到着する。
注文後すぐに間違って本を選んだことに気が付いても、
物流拠点にてすでに梱包作業が開始されていたらホームページでは注文内容は変更できない。
このため次のやり方としては、受け取り時に配達ストップしてもらい、
Amazonに返品することができる。
(お急ぎ便の場合、受取拒否には送料は掛からない。)
しかしながら、会社のオフィスや自宅に届いた場合は、
自分以外の人が荷物を受け取ってしまったら、もう受取拒否はできない。
次の手順としては、配送料をこちら負担で、Amazon所定の返品伝票を印刷、
貼り付けの上で、Amazon物流拠点に送付して返品依頼する形になる。
そう、この場合にはきちんと送り返す送料が必要となるばかりではなく、
プリントアウトほか手間が取られる。

たったワンクリックで、本から日用品までを注文できるAmazonであるが、
間違った操作によって、瞬時にこちらに負担が生じる可能性も同時に存在することを忘れてはならない。

すぐに決めることには、すぐにリスクが生じていることを忘れてしまって、
気が付いたら後から修正すれば良いと思っている人も多数いるだろう。

通販サイトの運営に関わり、日々物流事業者さんのお世話になっている私には、
一つ一つの決定がコスト化されているという事実が骨身に沁みている。
だからこそ、後でどうにでも取り返しが効くと考えている方とは相容れない部分が多分にある。

日常的に、昨日と変わらない生活を今日も送るし、
明日もきっとそうだろうと、何も考えずに過ごす人は多いだろう。
けれどもたまには考えて欲しい。
何気なく自分がトラックで田んぼに行くまでに誰かをはねてしまったら、
その人も家族も人生が大きく変わるだろうということを。
バタフライ効果という高尚な理論を持ち出すまでもなく、
1人の行動は常に世界に影響を与えているのである。

自分が決めて、自分が喋って、自分が動いたことに責任を取ろうとしない人は、必ず自らにしっぺ返しがくる。
それは覚えておいても損はない人生の肝なのである。
私自身自制したいと思いここに記しておく。
JUGEMテーマ:人間関係
人間学 | 08:36 | comments(2) | - | - | - |
手紙を書く意味


手紙を書く相手はいますか?相手はともかく年賀状を書いてみませんか。

年賀状を書く人が減っている、さらに手紙を書く人は減っている。
もちろんEメールやSNSなど、ネットの普及が背景なのだが、
ハガキや手紙を書く相手がいなくなったことが、その最大の理由ではなかろうか。

このブログにも何度も当時するように、私は人生の先輩お三方と、
人間について学ぶ仲であり、頻繁ではないが、ハガキのやり取りをしている。

私は、字が汚く受け手は読むに耐えないだろうが、そんなことは気にせず、
思ったことをそのままにハガキに認める。
三人の先輩は、その拙い文章には直接返さず、人生の本質に触れて、
「お主もまだまだケツが青いのぉ」と暖かい言葉を掛けてくださる。

こんなやり取りは、無機質なメールではなかなか出来ないだろう。
何故ならば、そこには感情が載りにくい。
短い文章であろうと、筆跡には、必ず書き手の気持ちが残っている。
相手を想わない人にはそれ相応の適当さが残っているし、
気持ちのこもった一言には、相手の笑顔まで想起させる力がある。

まもなく年賀状の季節である。
差し出す相手が思いつかない人も相当数いるだろうが、
家族宛てに投函してみてはいかがだろうか。

普段顔を突き合わせていても、
なかなかその人に対する想いを伝えることは少ないだろう。
ありがとうでも良いし、ここは直してほしいでも良いし、
去年を振り返っても、今年を展望しても良いだろう。

結局のところ、手紙を書くという作業は、
相手に気持ちを伝える振りをして、自分の気持ちをまとめる作業なのである。

年賀状という習慣を正月に与えるものと考えるから面倒になる。
年賀状は、書き手の一年を振り返るものである、この考えに立つと、
なかなか面白いツールになるのではなかろうか。

人間学 | 08:20 | comments(1) | - | - | - |
縁遊義塾in名古屋開催。人間とは何か、人間いかに在るか、人間いかに生きるか。
この台風19号の最中、私は名古屋にて人間を学ぶ勉強会、
「縁游義塾」に参加してきた。この会は長崎県波佐見町在住の深澤清塾長が
主宰する会であるが、この写真中央の窪島文代塾頭が呼びかけ人である。
縁游義塾
窪島氏は深澤氏と出会って以降20年超に渡って人間とは何かを研鑽し続け、
同じく長年に渡って人間学を学んでいる山田泰荘氏とともに、
多くの人々に影響を与えた優れた人物の足跡を辿り全国を巡り歩いている。
私はそんな深澤さん、窪島さん、山田さんと出会いをいただき、
数年前から人間を学ぶ仲間の末席に加えていただいた次第である。

今回の縁游義塾のテーマは、会津藩祖保科正之公であったので、
深澤さんの仰せつかりにより、恥ずかしながら私が講師を務めさせていただいた。

今回は臨時塾生として山田さんのお知り合いの方が参加して、
会場となった居酒屋さんで、突如としてプリントが配られ勉強会が始まったことに、
趣旨を知らない初参加の方は、びっくりされていた。
そんな中で、何も考えずに私はまず会津家家訓を受け継ぎ、
現代の会津っ子に広められている行動規範を全員で唱和していただいた。
――――――――
一 人をいたわります
二 ありがとう ごめんなさいを言います
三 がまんをします
四 卑怯なふるまいをしません
五 会津を誇り年上を敬います
六 夢に向かってがんばります

やってはならぬ やらねばならぬ
ならぬことは ならぬものです
――――――――
古き良き日本人なら当たり前のことだと思われることだが、
これが出来ている子供は少ないし、さらに大人は少ないと言える。
(会津という部分を地元の地名を置き換えれば全国で使える)
保科正之氏は、死を目の前にして自らの命を与えてくれた徳川家に対して、
終世忠誠を持った会津藩が続くようにと会津家家訓15条を定めた。
その根本思想は、「人間の尊厳を維持し、自らに誇れる行動をとりなさい」ということである。

今回の名古屋開講では、この勉強会兼飲み会が12日夜開催、13日午前中には、
航海中に大時化によりロシアに漂流し、当時の皇帝に謁見し帰国後、
鎖国前の日本でロシア社会を伝えることに貢献した、
大黒屋光太夫記念館を鈴鹿市に訪れて日程終了と相成った。

縁游義塾の主旨である「人間を考えること」は、
人と人が関わり合って成り立っている人間社会を
如何に私たち一人一人が捉えていくか、
その根底となるものとは何かを追い求めることに他ならない。

縁游義塾に何度も参加するためには、
「生きることに意味はない」「人生暇つぶし」という
人間の普遍的な理論に納得できないと、
そこで深澤氏、窪島氏、山田氏、そして私の四人で交わされる会話に付いていけず、
その大前提がぼやけるので、継続参加はできないだろう。

資本主義が高度に発展する中で、効率化、スピード化、金銭化に、
全て社会の動きを因数分解して、行動する日本人、世界人がどんどん増えた。
しかし当たり前のことであるが、食って働いて寝るという人間生活は、
何十万年も根本的には変化していないので、人間の本質はずっと変わらない。
だからこそ貧しくなったら嘆き、豊かになったら傲慢になる人々が沢山存在する。
しかし、自らを非常に客観的に見ることができなければ、社会も見えてこない。
人間生きているだけで丸儲けと思わない限り、不満は常に増える一方である。

窪島塾頭がまとめた縁游義塾第一テキストから
人間とは何かを学ぶにあたり大切な部分を紹介して終わりにしたい。
――――
人間とは何か、が分かると 

自己確立する 納得了解する、 

すると、

どこで何をしていても安心して生きられる
外でバタバタせずに生きられる
人間は存在していることがかけがえのないことだと分かっていたら、
外に向けて自己アピールしなくても済む
――――
ちなみに次回の縁游義塾は、来年春に波佐見で開講されるので、
興味がある方は、是非お声がけ頂きたい。
JUGEMテーマ:人間関係
人間学 | 00:00 | comments(1) | - | - | - |
我ら絶滅危惧種。都会の生活と田舎人
今朝の新聞に、カエルが東京ではどんどん見られなくなっていて、
絶滅危惧種状態であるとの記事が載っていた。

私は子供の頃、みどりのアマガエルをよく叩き殺していたので、
思わず自責の念に駆られた記事だった。

個人的事情はともかく、現代の都会っ子はカエルの鳴き声すら
聞いたことがないのかと月曜日朝から感慨深くなってしまった。

唱歌ふるさと

うさぎ追いし かの山 こぶな釣りし かの川
夢はいまもめぐりて 忘れがたき ふるさと

こんな風景を思い浮かび得る日本人も絶滅危惧種なのであろう。

日本人は、歴史的に他国の技術をキャッチアップすることで発展を遂げてきた。
縄文時代の中国、平安時代までの韓国、江戸時代のオランダ、
明治維新以後の欧米各国。。。。
もちろん今でも、ITやバイオ、先端科学技術は他国から伝わるものが多いのだが、
そろそろ日本の都市部では、田舎の希少部落から学ぶことが増えるのかもしれないと、
この記事を読みながら考えを抱いている。

田舎に暮らす農民漁民は、誰に言われることもなく自然と対峙し、
日々の糧を得るために汗を流して毎日生きている。

そこにはもちろん楽をしたいという人間的欲望は存在するが、
日々変化する自然の前には、人間は無力であることを十二分に理解し、
災害が起きたからといって他者を闇雲に頼る行動は取らなかった。

現代の都市部で生活する人間は、
日々の糧を得るために常に他者に依存しているために、
日常では起きない事態が起きると、
基本的に役所に救助を求めるようにプログラムされているといって過言ではない。

私はどちらが良いとか悪いとかを述べるつもりはさらさらないが、
このバランスを取ってきたのがこれまでの日本人ではなかったのだろうか。

だからこそ、先進国と発展途上国の間にあり加工貿易に特化することで、
世界に名だたる地位を築けたと言えないだろうか。

翻って考えると、地方の田舎の人間的な生活スタイルを全く忘れてしまった
人間だけが生活する都市国家日本に何の優位性があるのだろうか。
そんな国、都市国家シンガポールやドバイなどに
比べればかなり中途半端で三流国以下である。

一方で、これまで発展途上国だった中国にすら
相手にされなくなりつつある日本という姿はその象徴例なのではなかろうか。

カエルが鳴いている音だけを聞いていても、色々なことを考えるヒントを与えてくれる。
都会の生活に疲れた人々はたまには、
携帯の電波すらろくに届かない日本の片田舎を訪ねて二泊ほどして欲しい。

生まれた時から都会に生活していても、
何処かに備わっている日本人のDNAを思い出して癒されるはずだから。
JUGEMテーマ:人間関係
人間学 | 08:56 | comments(1) | - | - | - |

(C) 2017 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.